1)個人主義

幼いころ、多動児だった。
あまり多くは語りたくないが、頭が悪いことと不潔であることを極めていた。

俺はハゲている。
ハゲデビューは早く、小学3年生あたりから頭頂部が薄い。
当時はJリーグ全盛期だったので、運動音痴な俺を指して、よく「サッカーのできないアルシンド」と言われた(そんな社会の負債でしかない存在ってある?)。
自分以外に小学生の時点でハゲている親族は見当たらないので、さすがに遺伝子だけのせいとは考えづらい。

おそらく不潔だった時分、洗髪を怠った結果だと思っている。
いまでこそ毎日風呂に入り、歯を磨いている。
鼻毛を切るし、両津勘吉になるのを避ける程度に眉毛も手入れする。
爪に垢が詰まっていることもない。
清潔なつもりでいる。

フロイトいわく、赤ん坊は放っておけば自らの糞便を口にするが、それを親が制止することが「文明/文明外」の弁別の第一歩になる。
古代ローマが巨大な地下水路を設け、糞便を地上から隠ぺいする衛生管理を行ったことで西欧文明の端緒たりえたように、清潔であることは「文明参加」のチケットになる。

いまでこそ俺も清潔を通じて社会に紛れ込んでいるが、たとえばガス室から逃げおおせたユダヤ人が強制収容所で施された刺青を腕に残しているように、俺の頭頂部のハゲも「かつて不潔だった」事実を一生忘れさせまいと刻み込まれたスティグマのように思える。

俺は不潔だった。
そして小学生のころ、多動児なりによく授業を妨害し、汚い言葉を口にした。

教師や親、あるいは同級生たちからたびたび叱責されても、ちびまる子ちゃんの山田のように「あはは〜」と痴愚の道を突き進んだが、いっぽう多くの人々が「demioくんは終わっている」と言うのを聞くうち、客観的・科学的に見れば、やはり自分は終わっているんだろうという考えが深く刻み込まれた。

その考えは、思春期になり幼さゆえの衝動を失うと、重く静かなダメージに変わっていき性格が暗くなった。
根本敬松尾スズキ福満しげゆきもそうだったというので、「調子に乗ったバカガキが一転し、中学生になると暗くなる」のは多動児あるあるなのだと思う。

結果、中学生のころには「頭が悪い」「不潔」に加えて「暗い」の三重苦を負った。
さらに言えば顔の造形もよくないしハゲというハンディキャップもあるので、数えるだけ増えていくn重苦だった。
女子からは嫌われ、人付き合いにも消極的になり、中学3年間で放課後に友だちと遊んだことは一度もなかった。

それなりにつらかった。

誰とも支えあうことができないという前提のもと、自らの幸せは自分一人ですべて構築しなければいけないというオブセッションを持った。
読書、映画、音楽、洋服、おいしい店で食事することなど、いまでこそ人生を忙しくする程度にさまざまな趣味を持ちあわせているが、いずれも友人の輪の中ではぐくんできたものではない。
ただ一人で完結する「半径1メートルの幸福圏」を構築していく営みだった。

以前(一人暮らしをしているとき)こういったツイートを書いた。



趣味も、このように快のコックピットを作り上げていくことの同類項として存在する。

また、いま俺は無職だが、昨年度まで社会人として自活していた。
すなわち、n重苦の身分から、どうにかして一定の社会性を得てきたと言える。

お腹に力を入れた聞き取りやすい話し方、スーツと靴の選び方、あるいはカラオケでの時間の過ごし方…など、ふつうの人なら自然に体得していくであろうあらゆる挙動を、社交ダンスの素人がステップを学ぶようなたどたどしさですべて習得してきた。
それは本当に辟易する勉強量だった。
スラムダンクで陵南バスケ部の面々が、顧問から「お前たちがやってきた練習量を思い出せ」と煽られたとき、全員の顔に縦線が入る。
俺はいまだ欠損だらけの人格だが、それでも"社会性"の習得に対し、陵南バスケ部と同じ吐き気を憶える。

かくなる多動児から自立するまでの過程で、「自分はすべて自分が生かすべき」ということが強固な道徳律になった。

人は一人である。

たとえばTwitterなどで多くの人とつながり、有機的な連帯を築けていても、その社交場は薄氷のうえに設営されている。

食うに窮して故郷に帰る、心の病を患う、誰と誰がセックスする、といった偶々でしかない、しかし物質性をもった出来事によってたちまち人と人のつながりは解体される。

そうした"死"を見届けることへの覚悟、いつか一人に戻る可能性に覚悟をもった者だけが、薄氷上の戯れに参加する権利を持つ。
言い換えれば、「死を共有する」ことだけが共同性の可能な在り方だと信じてやまない。

(続く)