【LA】ももいろクローバーZ 「アメリカ横断ウルトラライブ」感想(3/4)

アメリカツアー三箇所とも演出・セットリストに大きな違いはない以上(※)、ハワイの感想が大枠をすでに果たしている。
LAとNYは、差分を主に語る。

※今回の演出・セットリストが練りに練り上げられた解であることは、ハワイの感想に書いたとおりよくよく実感している。回ごとの大差はないことは必然的である。

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11/17 LAでは、朝早くから会場のWilternに並ぶことにした。
(といっても、朝8時から並び出してすでに40番目ぐらいだったときは食欲を失った)

理由は以下のとおりだ。

・LAの行きたい観光スポット(ゲッティセンターとハンティントンライブラリー)はどれも距離が遠く、時間消費が激しい
・LAは温暖気候なので、長時間動かなくてもそれほどつらくならない
・三箇所のうち、一つぐらいは「前のほうで見る」を体験しておきたい

並んでみて実感したのは、アメリカの人たちは「ライブ会場に並ぶ」ことのルール付けがけっこう緩い。

チケット種別であるgeneral admissionをGoogleで調べた時点で知っていたことだが、アメリカは整理券を配るという文化があまりなく、ライブなどで良い位置を取りたければ好きなだけ早く並べばよい、といった考えが基本にあるらしい。
人気公演なら10時間待ちする人など、まあいるだろうね、のレベルだという。

また、日本では並び方一つで近隣施設からクレームが来るが(それはしかるべきクレームだと思うが)、アメリカでは道や出入口を完全に塞ぐなど、あきらかに実害的でない限り、あまり誰も文句を言ってこない。

事実、早くから並んでいるLAの人達はけっこう大きい木製の長椅子を持ってきているし、並んでいる人たちが一箇所に集まり歓談し、歩道の半分ぐらいを塞いでも、いまだ誰それと揉め出す気配はない。
(俺が気づいていないだけかもしれないけど、目立つレベルのことはなかったはず)

俺も14時になりホテル(会場から徒歩1分)のチェックイン時間になったときや、飲み物を買いに行くときには、ちょくちょく席を外す程度の緩さで行列に参加した。
(みんな、ここは誰それの場所だと互いに覚えあっている)

俺は基本的にモノノフとの横つながりは作らない人間だが、たまに会場や行列で隣の人に話しかけられれば、礼節をもって明るく世間話ぐらいする。

LAでは特に行列中、いろんな人が自分の並び位置を離れて話しかけてくる。
行列が一種の社交空間になっていた。
ファン同士による食べ物の差し入れや自作グッズの配布も回数がとても多い。
この社交性は、ハワイとはあきらかに違う部分だと思った。

れにちゃん推しのおじさんに話しかけられ、彼に聞いた話では、前日50人ほどの現地のももクロファンによるオフ会が開かれたらしい。
現地人のもよおしといっても、コネクションさえあれば、日本からやってきた人もどうじょどうじょと招かれる場だったという。
(そのおじさんも参加したそうだ)
前日のオフ会で会った人たちが、翌朝Wilternの行列で、やあやあ、と再び顔合わせする。
いわばオフ会のリレーションがそのまま移植されたのが行列の社交空間だった。
(と話を聞いて理解した)

ポカポカした気温と、たまに人に話しかけられるおかげで、開場までの8時間をそんなに長くは感じなかった。

LAでは、開場後、VIPイベントの写真撮影タイムにおいて、脳が溶けるような幸運に恵まれた。
Twitterに一度書いて、品性に欠けると思いすぐ消したが、ブログくんだりまで見に来るやつには何を書いてもいいと思うので、もう一度ここに記す。

写真撮影で50〜60人ごとのグループに分けられるとき、目の前で、はい、いったんここまでと俺のところで切られ、自ずと次の自ブロックの一人目になった。
誘導された位置はこんな具合だった。

メンバーが全員1m以内にいる。
かつ撮影のグループ全員が整列を終えるまで、ずっとメンバーはこの位置にいる。
近いし、長い。
ふだんのライブと比較すれば、顕微鏡で覗いているように感じる。
予期せぬ位置への誘導とメンバーの近さにより、俺は完全にこの位置で驚いた顔をしていた。
れにちゃんが手を振ってくれた。
振り返すと、れにちゃんは俺の驚いた顔に苦笑した。
あーりんに手を振ってみた。
振り返してくれた。
あーりんにも同様に苦笑された。

恐ろしいことに気づいた。

この距離ではメンバーに手を振ったりした場合、ほぼ確実に何らかの反応をしてもらえる。
メンバーのパーソナルスペースに漸近しているため、彼女らにとってスルーできる距離ではないのだ。
ふだんこちらがライブ中、イベント中にメンバー名を叫んだり手を振るとき、それはあくまでも存在肯定の身振り手振りであり、そこにキャッチボール性は期待していない。
だからこそ、一方的に好きなだけ手を振っていいし、名前を叫んでもいい。
しかし、ここでは勝手が違う。
メンバーがしっかり反応してくれるから、俺が好きなだけ手を振ったり話しかけたりすれば、それだけメンバーの時間を奪い、果てはイベントの進行を妨げる。
なんていうことだ…。
ここではファンとしての身振り手振りに責任が生じる。
("責任"だけ背景に岩文字で)
そう思った時点で動けなくなった。
何ならジロジロ見つめるだけでも、怖がらせてしまいそうだ…と思った。
じゃあ、どうすればいい?
アイドルを前に悠然とすればいいのか?
憧れのアイドルを前にして悠然とするファンって何だ?
それも違くないか?
何か模範例はないか?

ももクロ以外のアイドルの握手会などで、憧れのアイドルにフランクに笑顔で話しかけるファンの姿を思い浮かべた。
あれも実はダウンタウンと共演する芸人たちみたいに、はつらつとしているように見えて裏ではゲロを吐くぐらい緊張しているのかもしれない。
一種の強さとして、アイドルと相対するとき、笑顔でいるのかもしれない。
そう考え、笑顔にした。

あれ?
しっくりきた気がする。

なるほど、こうか!!!!!!!!!!!

人は極限に立たされたとき、1分間で成長できる。
いつかこの日を思い出してきっと泣いてしまう。

LAのライブの盛り上がりは、相変わらず凄まじいものだった。
横から見た場合の会場の作りは、だいたいこんな形だった。

二階席がある。
一階席は(この規模の会場では本来使わない言葉だが)深く沈んだアリーナと、階段状になったスタンドがある。
こうしたRepublikとは異なった階層的な会場の作り、さらにそもそもステージがけっこう高めなことにより、ステージ上のメンバーが見れない人はそんなに発生してない(と思う)。

ハワイで発生した圧縮は、LAでは起きなかった。
ファンたちはメンバーを視認することさえできれば、前へ前へ押し寄せることはない。
また、Wilternは天井が高いため、人の体温によって会場内が蒸れて、すえた空気になることもない。
Republikにあった野生的な熱狂は、あの建物の作りも大きく関係していたことに気付かされた。

だからといってLAのライブの盛り上がりは、ハワイに見劣るものではない。
ギラついたスラム感だけが抜けていると言えばいいだろうか。
さらにLAは先述のとおり、客同士のリレーションがかなり高度に構築されている。
ハワイでの盛り上がりはそのままに、この会場内が国籍を問わず、まったく一つの幸福圏であるような柔らかみがあった。
ダブアンまで終わったとき、外国人たちは歓喜の声を上げ、自分たちはとんでもないものを見たという驚きに包まれた顔をしている。
俺の近くにいた現地の人は、モモカー!!!!!モモカー!!!!!と目を見開いて繰り返し咆哮していた。
この幸福感と驚き(情報処理が追いつかない)がないまぜになった彼らの様子に、既視感を覚えた。
Twitterにも書いたことだが、2011〜2012年ごろ、ももクロのライブやDVDを見た人たちがかかった熱病に近い。

ここにいる現地人の彼らは、次またアメリカでライブをやるなら、万難を排して来るだろう。
またそのとき、身近な"感染者"を引き連れてくるだろう。
そんな楽観的なことを抵抗なく考えてしまうのは、「この高揚」の次に何が起きるのか、を過去すでに経験して知っているからだ。

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最後に些細なことだけど、地味に驚いたことが一つある。
『キミノアト』の歌い方が音源寄りに戻った。

ハワイでは、
旅立つたぁ↑めにぃ↓
無理にかくぅ↑したぁ↓
というこぶしの入った歌い方がされていたけど、LAをもって(次のNYでも)フラットな音源寄りの歌い方に、数年ぶりに戻っていた。

一部の人はキミノアトのこぶしの入った歌い方を忌み嫌っているが、俺はそれほど気にならない。
歌い方がむかしに戻ったことに、単純に「へー」と思ったので、ここに書いたまでと強調しておく。

(ずっと音源を親しんできた現地の人たち向けに、ツアー中に限り音源寄りの歌い方を選んだ、という可能性もあると思う)