『永野と高城。Vol.3』感想

『永野と高城。Vol.3』全6公演のうち、2019年10月26日(土)昼の部を見てきた。

賛辞の意を込めて「本当に酷い」コントばかりだったという話と、このお笑いライブは「美しかった」という話を書く。

 

1)本当に酷いコントばかりだった話


披露されたコントのタイトルを、記憶の限り書き出す。

※コントのタイトル一覧はオフィシャルから発表されておらず、俺のまだ湯気立つ記憶に依っているため、抜け漏れや不正確な表記は相当あると思う。

 

  • イクラちゃんの霊に憑依された高城れに
  • 個人経営のパチンコ屋の独自ルールが全然客にウケていないところ★
  • 草野球の監督の動きがサインじゃなくてただ可愛いだけだったところ
  • グルメレポートを腕の力が弱いカメラマンが撮るところ
  • 忘れんぼの芸人と優しいファン
  • 犬人間をやめさせろ!★
  • ステーキが早く食べたくて早歩きでステーキハウスへ向かう家族
  • れにちゃんもうやめようよ★
  • 人類史上初!スズキ エブリイになれた人
  • ももクロのコンサートを仮病で休んだ高城れにが自分の価値を客席へ確かめにいくところ★
  • 関係者席にクワバタオハラを見つけた大阪の歌手(今回のイベントテーマソング『ユーアノッアローン』の披露およびフリートークを前置きにして)
  • かけると陽気になるサングラス
  • 宗教の隣に猫カフェができたところ
  • 公園のベンチをThe Diand FourのMVのステップで去っていく二人
  • れにちゃんが去り際だけ礼儀正しくなるので寂しくなるところ★

 

どのコントも時に涙を流すほど笑ったが、個人的に、特に好きだったコントに星印を振った。
それらの感想を書いていく。

 

イクラちゃんの霊に憑依された高城れに


タイトルのとおり、れにちゃんがイクラちゃんの霊に憑依されている。
チャーン、ハーイ、バァブーとしか喋らない言語習得前の児童と化している。
このコントの底に敷かれているのはサザエさんと、ウィリアム・フリードキンエクソシスト』である。
というか『エクソシスト』のほうが基底にあり、上モノの悪魔だけをイクラちゃんに差し替えたコントと言ってよい。
イクラちゃんはここでは悪魔なので(イクラちゃんが悪魔って?)、れにちゃんはチャーン、ハーイ、バァブーと言いながら、さまざまな悪事を行う。
このとき「ももクロ高城れににわざわざやらせる悪事」が酷い。
ガスコンロのつまみを緩く回し、ガス漏れを起こさせる。
親の財布から万札を抜き取り、破って捨てる(日本銀行券を破損させる)。
皿を割る(というか、ファンで埋め尽くされた客席に投げつける)。
高城れにイクラちゃんという芸能界とアニメ界の双璧をなす無垢な存在にやらせる悪事の一つ一つが「それはふつうにやめろよ」な質感に満ちている。

最終的に神父である永野が(『エクソシスト』の展開同様に)れにちゃんに取り憑いたイクラちゃんの霊を自らに転移させ、悪魔に理性・身体を乗っ取られる前に、絶叫しながら2階の窓を突き破り、自殺する。

驚きをもって爆笑した。

この世界に、「イクラちゃんの霊を殺す」のがオチのコントが存在したということに。

 

『個人経営のパチンコ屋の独自ルールが全然客にウケていないところ』

永野やエキストラ一同がパチンコを興じている中、店員のれにちゃんがマイクで「立て」「座れ」「前川清(のモノマネをせよ)」という指示を繰り返す。
客たちは、この指示に従わないといけないという独自ルールを知った上で(それでもパチンコがやりたくて)店の門をくぐっている以上、渋々指示に従うが、それは衆愚であると気づいた永野が抵抗する。
「立て」と言われたら座り、「座れ」と言われたら立つ。逆のことをする。
ほかの客たちも永野に倣うと、誰もれにちゃんのマイクに従うものはいなくなる。

「立て!」「座れ!」が虚しく空振りを続けるうち、れにちゃんはその場に座り込んで、泣き出す。
泣かすつもりはなかった一同は、慌ててれにちゃんを慰めようと囲むと、その場に大きな煙がボワッと立ち込める。
煙が晴れたとき、中心に立つれにちゃんの頭には一枚の葉っぱが乗っている。
このコントもオチが酷い。

 

永野「狸の仕業だったのか!」
暗転。

 

『犬人間をやめさせろ!』

永野が公園を歩いていると、向かい側かられにちゃんが、リードでつながれた犬人間(四つん這いで犬歩きをした人間)を散歩させながら、笑顔で現れる。
コント冒頭、その絵が視界に飛び込んできた時点で、下顎が吹っ飛ぶような爆笑をした。
このコントは、「ももいろクローバーZは人権意識が薄い」という並行世界をえがいている。

 

永野「あれ?ももクロの、高城れにさん、ですよね?」
高城「はい!」
永野「何してるんですか?」
高城「(街中で話しかけてきたファンに”神対応”するような眩しい笑顔で)お散歩です!」

 

永野が問い詰めると、犬人間自身はれにちゃんと合意の下でその関係を結んでいることを、力強く「ワン!」と答えてくれる。
それであれば第三者が口を出すことではないか…と、永野はそのままれにちゃんと犬人間が去っていくのを見送る。
が、冷静になる。あんなことは人道にもとる。やめさせなければ!と思い、追いかけようとした瞬間、むしろ舞台袖の反対側かられにちゃんが戻ってきた。
リードでつないだ犬人間が3匹に増えている。
助けて。

 

永野「ももクロの、他のメンバーが知ったら、大変なことになりますよ」
高城「はあ!?他のメンバーはもっと飼ってるし!(夏菜子ちゃんは静岡と仕事現場で10匹ずつ飼っている(=夏菜子ちゃんの場合、実家の家族も協力している))」

 

永野「ももクロのファンの人たちが知ったら、大変なことになりますよ」
高城「はあ!?(客席を向いて)むしろファンの人たちこそ、こうなりたいよね?????」

 

観客一同「オーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 

高城「(不機嫌そうに)”オーーーーーーーー”じゃないでしょ!!みんなは、”犬”なんだから、"ワンワン"でしょ?????????」

 

観客一同「ワンワン!!!」

 

前提を確かめると、『永野と高城。』にはまず、お笑いのライブにももクロというモンスターグループのアイドルが出るために、そのアイドルのファンが客席を埋め尽くすというお笑い的には(いまさら誰も問題にはしないけど)そこそこ愁眉な事態がある。
このコントは、そうした事態を積極的に活用している。
つまりファンたちは犬である。そして「ライブはファンのみんなと一緒に作り出す」ものである。

ファンたちが「ワンワン!」と応えるとき、彼らに不謹慎な笑いに貢献しようという(そんなに高度な論理操作を要する)意図は一切ない。
愛するアイドルに何か求められたら、無批判で「是」で応じるという彼らにとって極めて一般的なコードを発動させているに過ぎない。エンターキーを押したら改行される程度の事象である。
『永野と高城。』は、その開催を遠く知るお笑い好きの人々が思うであろう「アイドルが混じることで、お笑い要素が薄まる」事態とは無縁である。逆である。
犬人間という属性が客席のファンたちにも波及する「ワンワン!」というコールアンドレスポンスが、「お笑い」というフレームを超えて狂っているために、このコントが成立する。
めちゃくちゃ笑った。

 

『れにちゃんもうやめようよ』

これは『永野と高城。Vol.2』に第一作を持つコントである。
れにちゃんが防弾チョッキとピストルを入手してきて、永野に「撃って~」とおねだりする。それを繰り返すだけのコントで、個人的には『Vol.2』で一番好きだった。
(後に『ももクロchan』#464に出演した永野も、これが『Vol.2』で一番ヤバかったよね、と語っていて嬉しかった)

 

よって、永野がこのタイトルを読み上げた瞬間「またやるのかよ(何度もやれるフォーマットじゃないだろ)」という事実にまず爆笑した。

 

れにちゃんが防弾チョッキとピストルを「川越のそっちの筋の人」から入手してくる。
『Vol.2』同様、れにちゃんが防弾チョッキをまとった上体を少し傾けて、無邪気な笑顔で「買っちゃった」と言うことがすでにオチ級の爆発力を持っている。
前回とは逆に、防弾チョッキを永野に着せ替え、自分がピストルを持って「撃たせて~」とせがむ。
媚態に負けた永野がデレつきながら承諾するが、いざ腹部を撃たれ、銃弾一発分の鈍痛に襲われると、地面に横たわりながら「あーーーーーーーーーーーー!!!!!」と叫ぶ。そして、当たり前のように一緒に舞台に立っているけどよく考えたら20歳年下のれにちゃんに、あらためて「この・・・・・・・・ガキが!!!!!」と叫ぶのが最高におもしろい。

 

ももクロのコンサートを仮病で休んだ高城れにが自分の価値を客席へ確かめにいくところ』


ももクロのファンだから言うが、タイトルが酷い。
コンサートの客席に現れたれにちゃんは、黒い覆面をかぶり、”高城れに以外にめちゃくちゃ厳しい厄介客”のふりをして、公演中「高城れにのいないももクロなんかクソだ」と悪罵を吐き続ける。
すっかりテンションの落ちた周囲のファンたちを代表し、永野が「やめろよ!」と注意する。覆面を脱がされる。
周囲のファンたちに「れにちゃん・・・・・・・・!!!!」とバレても、れにちゃんはひるむことなくももクロの悪口を言い続け、最後に力強く「高城れにのいないももクロなんか、何の、価値も、ねえんだよ!!!」と叫んで、このコントが終わる

 

アフタートークで永野が語っていたが、このとき最前3列分ぐらいのファンたちが、静かに顎を引いてうつむき、落ち込んだ顔を見せるらしい(たまらない)。


もはや、台本の出来不出来が争点にはなりうるコントではない。
ももクロへの罵倒を、高城れにの口から発させる」という行為性・事実性の一点に、このコントの強度が託されている。

 

個人的な昔話をするが、2014年に永野がいまはなき新宿・風林会館で単独ライブをしたとき、最後のトークで語られた内容をいまも印象深く憶えている。
乱暴に要約すれば、モグライダーの漫才はすばらしい。構成や伏線がなく、だいの大人二人がこの漫才のために練習している様がまったく目に浮かんでこない、からだと。
ひるがえせば、「背後に努力が見えてしまう漫才・コントにまったく興味が持てない」と、そのとき永野は語気を強めて言っていた。
永野は強固なアンチ・テクニックである。
そんな事実は永野のコントタイトルをずらりと眺めただけで、誰もが瞬時に分かることだと思う。
コントのシナリオ的完成度などをお笑いの問題から除外し、「うまい」「努力」を排した先にある強度の一点突破を貫いている。
その基本形を譲ることなく、自らのコントの磁場に高城れにを招聘する。
そのうえで、さらに「れにちゃんがいるからできること」を試行する。
それは昨日ツイートしたが、『Vol.2』の円盤に収録されたこんな場面からもよく伺える。

 

 

ももクロと永野がそれぞれ無関係にパラレルで好きな身分としては、こんなにも好きなものと好きなものがまったく互いの良さを摩滅せず、純然たる掛け算を起こして、笑えて、楽しいイベントはない。

 

れにちゃんが去り際だけ礼儀正しくなるので寂しくなるところ


これが『Vol.3』を締めくくる最後のコントである。

コントの導入は、ももクロ夏ライブが終演し『永野と高城。Vol.2』の共演者たち(永野以外は小劇場の役者たち)が関係者として、れにちゃんへ挨拶しにバックヤードを歩くところから始まる。
彼らはそれまで見届けたももクロのライブに、熱く感動・興奮している。
「一緒に舞台をやってるときは、ただかわいい~って感じなんですけど、なんか今日、何万人も相手してステージで歌うれにちゃんの姿を見たら、めっちゃカッコよかったです」といったセリフを口にするが、これは、ももクロと共演した弱めの芸能人が関係者枠でライブを見に行ったときの感想のテンプレートである。

 

彼らは感動したからこそ、「私たちなんかが関係者として挨拶なんかしに行っていいのか」と不安な思いが湧いてきたことを吐露する。
永野が力強く「いや!!だって俺たち仲間じゃん!!」と後押しする。

そこに、れにちゃんが現れる。
彼らは、ライブに感動したことと、またこうやって会えた歓びを伝え、れにちゃんは屈託なく嬉しそうに応える。
そして、一人が先ほど吐露した、れにちゃんが実は自分たちなど足元にも及ばない遠い存在に感じられてしまうということをポロリと口にする。

れにちゃんの口からも、永野とまったく同じ「なんで?だって、私たち仲間だよ!」という温かい存在肯定の言葉が返ってくる。全員が安堵する。

そのまま和気あいあいと会話していると、一組あたりの関係者挨拶に割り当てられた時間を迎え、マネージャーが「以上です」と剥がしにかかる。
ここからが”オペレーション”になる。
その指示系統たるマネージャーの出現をもって、さっきまで温かくタメ口を聞いていたれにちゃんが「ありがとうございました」と礼儀正しく頭を下げる。
”切断”する。

一同が足取り重くその場を去りつつ、「あれ…?」となっていると、永野が「仲間」であることの再確認のため、来た道を駆け戻り、すでに別の関係者との挨拶に応対しているれにちゃんに向かって「れにちゃーーーーん!!!!!!」と叫ぶ。


それに気づいたれにちゃんは、振り返りもう一度、「ありがとうございました」と深々頭を下げる。
とどめを刺される。
れにちゃんと自分は「仲間」だと思っていたけど、『永野と高城』の共演という場から離れてしまえば、あくまでも自分は「ただの客」でしかなかった、という事実に永野が気づき、舞台が暗転。コントが終わる。

 

これで『永野と高城。Vol.3』の全コントが締めくくられる。

そのセレクトが、本当に酷い。

  

2)このお笑いライブは美しかったという話

『Vol.2』に遡った話を書く。
円盤にも収められた『Vol.2』の千秋楽では、最後のカーテンコールでダブルアンコールが発生し、永野はまったく予定外な時間が生まれたために、日ごろなら、自らに禁制を課しているであろう幾分センチメンタルなトークをしてしまう。

その日、永野が劇場に向かいながらウォークマンニルヴァーナ『アバウト・ア・ガール』が流れてきたとき、いわく言い難い直観が働き、ググってその歌詞の和訳を調べたという。

I'll take advantage while
You hang me out to dry
君といるときだけ俺はうまくやれる

本人曰く、日ごろ「石を投げられながら生きている」永野は、『永野と高城。』のための準備や活動をやっているときだけ、人から「永野さんすごい」と褒められるという。
自分の思いえがくお笑いライブに、ももクロのれにちゃんがいたら、という思いつきから始まり、彼女がそれを快諾して、今日この場を迎えている。
自分にとってれにちゃんは、“君といるときだけ俺はうまくやれる”という『アバウト・ア・ガール』のガールである。
その話を聞いたれにちゃんは、永野は自分なんかと一緒にお笑いをやっていて楽しいだろうかと不安だったことを吐露し、それまで我慢していた涙を滝のように流す。
(先日ラジオ『ももクロくらぶxoxo』であーりんが語っていた話では、この『Vol.2』を終えた後、れにちゃんはしばらく「永野さんと結婚したい」「永野さんと結婚したい」「永野さんと結婚したい」と言っていたらしい)

 

今回『Vol.3』では、永野の発案によりテーマ曲『ユーアノッアローン』(作曲ヒャダイン)が制作された。
これは若き日のRケリーが手掛けたマイケル・ジャクソン『ユー・ア・ノット・アローン』を元ネタとした(権利関係を指摘されても「そういう動物の名前です」で押し切れるようタイトルを若干いじった)曲であると話された。

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このとき、ももクロChanで永野の口からマイケル・ジャクソン『ユー・ア・ノット・アローン』の名前が出たことが、すでに自分にとっては感動的だった。

永野が去年『アバウト・ア・ガール』でそうしたように、好きな90年代の洋楽に、自分が高城れにに抱いている感謝の思いを内在させていることが伺えたからだ。

 

マイケル・ジャクソン『ユー・ア・ノット・アローン』は、曖昧に書かれた歌詞にさまざまな解釈が存在するが、あえて言えば、愛する恋人に立ち去られた後の男の独白ソングである。


引用:http://musiclyrics.blog.jp/archives/24262435.html

You Are Not Alone -Michael Jackson (1995)


Another day has gone
I'm still all alone
How could this be
You're not here with me

また1日が過ぎ
僕は未だ1人でいる
何故こんな事になったのか
君はいない 此処に 僕と共に

You never said goodbye
Someone tell me why
Did you have to go
And leave my world so cold

君は決して言わなかった サヨナラを
誰かが言う 僕に 何故だと
君は行かなければならなかったのか
そして残された僕の世界は これほどに寒い


Everyday I sit and ask myself
How did love slip away
Something whispers in my ear and says

毎日 僕は座り込み 問いかける 自分自身に
どうして愛は失われてしまったのか
何かの囁きが 僕の耳元に語りかける


That you are not alone
For I am here with you
Though you're far away
I am here to stay

君は1人じゃない
僕はここにいる 君と共に
たとえ君は遠くにいても
僕はここに留まっている


But you are not alone
I am here with you
Though we're far apart
You're always in my heart
You are not alone

だけど君は1人じゃない
僕はここにいる 君と共に
たとえ僕たちは離れていても
君はいつも 僕の心にいる
君は1人じゃない

Alone, alone
Why, alone

1人で 1人で
何故 1人で

Just the other night
I thought I heard you cry
Asking me to come
And hold you in my arms

あの夜
僕は思った 聞いたと 君が泣くのを
頼みながら 僕に 来て欲しいと
そして抱きしめた 君を この腕の中に

I can hear your prayers
Your burdens I will bear
But first I need your hand
Then forever can begin

僕は聞ける 君の祈りを
君の重荷は 僕が持とう
でも最初に 僕には必要だ 君の手が
そうすれば 永遠に始められる

Whisper three words and I'll come runnin'
And I and girl you know that I'll be there
I'll be there

囁くんだ 3つの言葉を すると僕は走って来る
僕と君は知っている 僕がそこにいると
僕がそこにいるんだと

 

いま僕は一人だ、なぜあのとき君は出ていかねばならなかったのか、というウジウジした自問自答から始まる。
しかしサビで「You are not Alone 君は一人じゃない」と宣言する。
いま君は遠く離れていても、”かつて君がいたここ”に、変わらず僕はいるからであると。
彼女は遠く離れてしまったが、いつでも二人が再び出会えるようこの場所から動かずにいる。その可能態を確保していることをもって、「君は一人じゃない」と歌う。
しかし、君が"Three Words 三つの言葉"(アイラブユーの隠喩)を言えば、ぼくは場所的な拘束を解き放たれ、現実態の君の元へ走り出す。
彼女から求められるその言辞によって、自己愛的に固執している”ここ”を離れ、あなたが待つ新しい世界へ動き出すことができる。

これは『永野と高城。Vol.2』の終わりに、れにちゃんがおそるおそる「もしよかったら、来年も、また3をやってほしい」と永野に言い、永野が鳥肌を立て、舞台袖に隠れて「嬉しい!!!!!!!!!!!!!!!!」と叫んだ、あの場面を想起せずにはいられない。

 

永野はまず、高城れにと自分の間に、同一化できない壁(生eros=肯定を担うアイドルと、死thanatos=批判を担うカルト芸人の自分の間にある壁)を認識する。
それはネガティブな想像の結果でなく、冷静になるほど自覚せざるをえない厳然たる事実である。『れにちゃんが去り際だけ礼儀正しくなるので寂しくなるところ』で、自らへの釘刺しを、共演者・観客一同を巻き込んで行ったように。
しかし、人間にはそれぞれ消化しえない差異があるからこそ「移動」の契機が与えられる。
彼女のもとへ行くことをきっかけとし、彼は新しいレベルへの昇華を試みることができるようになる。
そのようなことを、マイケル・ジャクソン『ユー・ア・ノット・アローン』は主題にしている。
永野はさまざまな場所で、来年もまた『永野と高城。』があることが、それまでの一年間を生きる理由になると語ってきた。それは、自分を必要としてくれた高城れにへの感謝の歓びである。

 

『永野と高城。Vol.3』の終演を見届けるとき、『ユーアノッアローン』と『れにちゃんが去り際だけ礼儀正しくなるので寂しくなるところ』は、双極を――もっと言ってしまえば永野の双極的な気質を――成しているように思った。
ももクロ高城れにと永野の間にあるついぞ消滅させられない壁に対し、自覚的になってしまう永野と、しかしれにちゃんから求められるなら、いつでもこちらから行く(だから、ユーアノットアローンである)という表明である。
あえて言い換えれば、『Vol.2』のとき、れにちゃんに『Vol.3』をお願いをされ、照れ隠しで「私の機嫌がよければやります」と答えた永野が、一年越しで好きな洋楽越しに「こちらから行きます」というアンサーをしているように思えた。

 

『Vol.3』の千秋楽でも、れにちゃんは『Vol.4』の開催を永野に求め、従来3Daysだったのを5Daysに拡大してほしいと言ったらしい。

この連鎖が美しい。

 

以上『永野と高城。Vol.3』は本当に酷いコントばかりで、そして美しかった。