0)女性を人間と呼べるかどうかはまだ議論の余地があるだろうが、俺が生涯結婚すべきでないことに疑いの余地はない。

俺はよくTwitterで女性を叩く。
女性という生き物を軽蔑し、憎らしく思っているからだ。
そして同時に、女性に劣情をもよおす。
軽蔑しながら勃起している。

勃起は、すごい。
勃起は自律神経だから、理性とリンクしていない。
たとえばエロ本に載っている全裸の女性に興奮したとき、それがただの表象物だと知らないペニスは、そのエロ本の中の全裸の女性に挿入するため、膨らみ、硬化する。
あるいは、職場の女性のシャツのたゆみからブラジャーが覗けたのに勃起したときも、ペニスは職場の女性に挿入する準備として勃起している。

勃起しているとき、実際セックスできる状況かどうかという理性的な判断に関係なく、ペニスは必ず"そこに入ろうとしている"。
これほど強い「存在の希求」があるだろうか。

かくなる勃起が、軽蔑という拒絶の系と同時に成り立つことは、神が男に残した致命的な「バグ」に違いない。

あるいは、エンジンというものが極端な温度差によって激しいピストン運動を実現するように、人類にも上述のような矛盾(温度差)が施されたことによって、かの進歩と繁殖が促されてきたのかもしれない。
この問題は根深い。

俺は、女性に対する「軽蔑と勃起」を、さまざまな言葉の変奏として、これまでTwitterでつぶやいてきた。
Twitterを始めてからずっと、と考えれば、かれこれ4年間は続けていることになる。

こんにち、Twitterで女性を叩くことは一般化している。
俺に限らず、多くの人が行う。
もはや実際に女性が嫌いか否かなど問題でなく、ただ広く共有された「ウケる技術」に堕していると言えるかもしれない。

女性を軽蔑するツイートをしたとき、「お気に入りに登録」のうち、少なくない割合が女性からだったりする。
そういう女性のアカウントを開き、ツイートを遡ると、同性(すなわち女性)を叩いていることがある。
つまり、女性同士が蟲毒を繰り広げている中、そのソースとして参照されている。

女性を叩くことは、男にとって「ウケる技術」に、女性にとっては「卓越化の技術」になっている。
かのように一般化している。

こうした状況にいつも嫌気がさしている。
賢明な人たちは、女性を叩くツイートに飽きている。

もんっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっのすごく飽きている。

だから俺も女性を叩くツイートを少しセーブしているところがある。

しかし、前提を確かめると、そもそも俺は「芸風」で女性を叩いているのではない。
繰り返すと「女性という生き物を軽蔑し、憎らしく思っているから」だ。
飽きるどうこうでなく、事実陳述をしている。
生じた衝動を言葉にせず溜めこむことは、心身によくない。
小鳥が日々さえずるのも健康のためである。

にもかかわらず、女性への鬱屈とした感情を抑え込んでいることは、それがトレンドに順応した小賢しい振る舞いにすぎないことを含め、自分を抑鬱的な気分にさせる。

そうでなく、もっと、しっかりと伝えたい。
私は、本当に"女性が嫌い"なのだということを。

"女性が嫌い"であると言っても、それは心の内側の話――「言ったもん勝ち」なことでしかない。
だから、この思いをより外在的なレベルに置き換えると、俺は「生涯結婚しない」という決意を持っている。

ときどき人と将来のことを語り合うとき、結婚するつもりはない旨を話さざるえないことがある。
しばしば、

「またまたー」
「なに言ってんのー」
「キミがその気になればイケると思うんだけどなー」

といったことを言われる。

それは俺の人となりを見る限り、決して結婚に絶望すべきほど低劣を極めた印象は抱かないという温かい評価のようである。
もしくは、たとえば小学生の男子が性の照れから「オレ、女なんて全然興味ないしぃ」と強弁するのを、微笑ましく諌めてくれているようにも思える。

しかし、俺も決して人の気を揉もうとして非婚を言明しているわけではない。

たとえば俺は、社内で何らかの改善計画を立ち上げ、いろいろな人たちに役割と期限を割りあて、何か問題が起きれば情報収集に努め、導き出された原因にもとづいた対処を実行し、経過観察まで完遂する、といったことができる。

その程度にリアリスティックな思考回路を、自分の将来設計にも用いた結果として「生涯結婚しない」という結論に至っている。

だからこそ、結論に至るまでの理路は決してシンプルでない。
「結婚すべき」と説いてくる人に何か答えるとき、1時間のプレゼンテーションが許されているわけではないため、簡潔に「きっとDV夫になるので」といった答え方で濁す。

5割は、軽蔑の眼差しをもって、話を切り上げてくれる。
もう5割は、ただの露悪的な冗談と受け取り、引き続き「彼に人の愛の素晴らしさ、家族を持つ喜び、愛する妻がいつもそばにいる安らぎを教えてやろう」という意気込みで語りかけてくる。

つらい。

なのに、こういった「結婚を説かれる」ことが年に数回、コンスタントに発生する。
地味に気苦労を負う。

そんな中、俺はブログを持っている。
「1時間のプレゼンテーション」に代わる場を持っている。
だから、ここに「生涯結婚しない」考えを書き残そうと思う。

長い文章になる。
でも、なぜ女性が嫌いなのか、なぜ結婚しないのか問われるたび、「詳しくはwebで」の一言で応じられるようになると考えれば、むしろ長い目で見て「字数の節約」になるはずだと信じたい。

〜もくじ〜

1)個人主義
2)文物主義
3)女性は人間ではない
4)-総論- 私は生涯結婚すべきでないことの証明

(続く)