2-2)偉大なる浪江町(2)/『ももクロ春の一大事 2022』に寄せて

■産業振興(課)

いまの浪江町の産業の話を書く。

これは、浪江町役場 産業振興課の取り組みの話でもある。 

産業振興課は、浪江女子発組合および『ももクロ春の一大事』を管掌している。

産業振興課というパートナーがどういったことに取り組んでいるかは、ももクロ浪江町の「絆」を確認することにもつながるだろう。

 

浪江町では、「暗中八策」および「復興計画第一次~第三次」に至るまで一貫し、町を新たに支える「産業」の重要性を唱えてきた。

直近の「復興計画 第三次」で見れば、復興基本方針の第一投目に「Ⅰ.夢と希望のある産業と仕事づくり」を掲げている。この「夢と希望のある産業」という言葉には、「新たな産業の誘致」施策が含意されている。

「ムラ」の語源は、特定の緯度経度のエリアを指すものでなく、生産共同体のヒト集合を指す言葉だった。新産業の活性化は、浪江町にとって財政的にもコミュニティ形成としても、吉田数博がかかげる「持続可能なまちづくり」における重要性を持つ。

 

◎工業

現在、産業振興課の責任者(課長)を務める清水中さんは、晩年の馬場有から「産業振興はお前がやれよ」と託され、2018年に秘書係長から現職へ異動した(この方が、大柿さんの上司である)。

 

浪江町は現在、「棚塩」「北」「南」「藤橋」4つのエリアに産業団地を持っている(持とうとしている)が、清水中さんは直接的には、特に中核的な棚塩産業団地を管掌されている。

その上流、イノベーションコースト構想の話をしないといけない。

 

イノベーションコースト構想

イノベーションコースト構想とは、端的に言ってしまえば、「福島第一原発の周辺に、その廃炉実現に向けて、先進的工業技術を集結させる」構想である。

 

福島第一原発廃炉には、三菱重工東芝、日立GE…といった世界水準のメーカーが技術を寄せ合い、その事業予算には通算2兆円が組まれている。廃炉といえば、責任・安全性・負の遺産…といったネガティブな言葉が連想されるが、動いている経済規模だけ見れば、地域一帯の”一大産業”と言える。

だから、廃炉のために、必要な科学技術をその周辺に集める。原発事故の収束という、世界中の先進的な技術を結集させなければ立ち向かえない難題を、いっそ地域産業の基本スキームに組み込んでしまうという発想である。

 

先行モデルとしては、米国ワシントン州東南部のハンフォード地域がある。

広島・長崎の原子爆弾製造から冷戦期の核兵器研究まで、プルトニウム燃料の精製が行われ続けた「ハンフォード・サイト」を持ち、戦後のずさんな管理から、アメリカで最悪の放射能汚染を起こした一帯と言われている。

ハンフォードは何兆円もの予算を積んだ除染事業を余儀なくされるが、土地の人々は、それを通じて得られた技術をさまざまな産業振興に拡大した。すると、(あまりにもジャンプの幅が大きくて笑うが)町で高品質なぶどうが採れるようになり、それで作ったワインが全米1位になった。

技術応用は、教育分野にもおよんだ。「ハンフォード・サイト」から40km離れたところに研究者・技術者が住むエリアが作られると、地域の子どもたちの学力レベルが上がり、やがて全米住みたい街ランキング上位に入り、いまやアメリカ有数の繁栄都市になっている(全米6番目の人口増加率:2013年、全米312都市で最高の雇用上昇率:2010年)。

 

さて、浪江町は現在新たな雇用創出のため、町内に4箇所の産業団地を設けている。

www.town.namie.fukushima.jp

そのうちもっとも広い面積を持ち、かつ中核をなすのが棚塩産業団地であり、浪江町はここをイノベーションコースト構想の用地として提供している。

 

棚塩産業団地には現在、以下3つの新しい産業拠点が稼働している。

 

「福島水素エネルギー研究フィールド(FH2R)」

棚塩産業団地でも特に有名な、通称「水素センター」。

太陽光発電から得られた電気を使い、水素を製造する。それを搬出可能なエネルギーとして、使用・販売する。

浪江町は「ゼロカーボンシティ」「水素タウン」構想を掲げ、石油燃料に頼らずに、町の産業・生活にエネルギー供給することを目指している。実際に、町内の公用車を水素カーにしたり、「いこいの村なみえ」の大浴場を、水素で沸かす「水素の湯」にしたり等、さまざまな導入が日々進められている。

こうした浪江町を「再生可能エネルギーで作られる地域モデル」として、世界へ発信・輸出可能なパッケージにしようとしている。

 

「福島ロボットテストフィールド」


廃炉には大前提、高度なロボット技術が求められる。福島第一原発の炉心の中がどうなっているのかいまだUnKnownであるという問題にも、いずれロボット技術が答えを出すだろう。

通称「ロボテスフィールド」は、無人航空機、災害対策ロボット、自動運転ロボット等について、水・陸・空すべての操縦、研究・実証まで行える一大研究拠点となっている。

 

「福島高度集成材製造センター(FLAM)」

原木から集成材製造まで一括化して行う、新たな林業拠点だ。

浪江町は震災前、もともと西側の山間における林業地場産業としていた。それをFLAMが新技術でリブートし、福島県全体の林業をリードする存在になろうとしている。

かつ、ここFLAMで作られた木材を、隈研吾による2025年までの浪江駅前再開発事業に活用(地産地消)していく予定も持っている。

 

◎国主導であっても、町自身の意思・公益を守ること

イノベーションコースト構想」は、国が主導している。

 

これをあえて批判的目線から見れば、原発から新工業へと切り替わっただけで、産業デザインを中央に握られる「原子力ムラ」構図を維持しているのでは、という疑義がありうる。というか、その手の”反省的”疑義は福島県の一部では根強い。

 

順序を振り返るなら、廃炉のために、イノベーションコースト構想がある。廃炉の責任主体は、政府と東電である。すると、イノベーションコースト構想の責任も、政府と東電が負うという順序関係になっている。廃炉に必要とされる経済資源・先端技術の規模から、中央官庁とゼネコン的な巨大資本が動かざる得ない。というか、それ以外のあり方はない。

 

そんなところが、国主導の産業デザインに参画する理由であろうが、それでも、浪江町はポジティブな、自律的な意思を介在させている。

 

2014年4月。まだ避難指示解除前であり、イノベーションコースト構想も立ち上がって間もないころ、その参画について馬場有が答えたインタビューがある。

https://www.town.namie.fukushima.jp/uploaded/attachment/2507.pdf

――まちづくり方針のひとつに北側の廃炉拠点としての整備が掲げられていますが、これをやはり原発頼みと受け取られないようにするためには、どうしたらよいでしょう?

 

 福島第一原発廃炉作業を安全なものにするために、また汚染された地域を元に戻すために、日本と世界の技術を集結しないといけない。危険な原発の撤去に向けて、浪江はそのための場所を提供することができる、後片付けではなく新たな産業の創出というように、ポジティブに考えていく必要があるでしょう。

 (廃炉については)国が前面に出るという話ですから、そうした技術を持つ企業や研究所を浪江に配置するような働きかけも行っていきます。

 福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想もそうです。メルトダウンした燃料を取り出す方法もまだ決まっていないのですから、これからロボット技術開発などに関連して多くの研究施設や企業の誘致が可能なはずです。浪江は福島第一原発から5~6キロと近く、そこに低線量地域もある。そうした「地の利」を生かして誘致につなげていきたいと思います。

一つは、馬場有ひいては浪江町も、福島第一原発廃炉が完遂されることに対し、地域の安全・復興のため、当然是認の構えを持っていること。

そして、「(廃炉については)国が前面に出る」と、国の責任所在をあきらかにしつつ、「後片付けではなく新たな産業の創出というように、ポジティブに考えていく」こと、「地の利」を生かした誘致を行うことを表明している。つまり、イノベーションコースト構想の参画にあたっては、浪江町自身の意思とも齟齬がないことが丹念に確認されている。

 

重要なことを振り返ると、かつて3.11によって原発誘致が白紙化し、東北電力から譲渡された小高・浪江原発の用地には、いまや「福島水素エネルギー研究フィールド」が建っている。

この土地を、原子力に代わるエネルギー事業に活用しようとし、水素センターを誘致したのは、当の馬場有だった。そこには確実に、かつて熱心に原発誘致してきた出自への反省が込められている。

 

そういえば先日、請戸川リバーラインで花見をするため「いこいの村なみえ」に泊まったとき、チェックアウトでちょうど入れ替わりになったため直接目にはできなかったが、「水素まつり」が開かれ、浪江女子発組合の播磨かなさんもSUGIZOトークをしたという。

浪江女子発組合も、グルメや観光といった浪江町のソフト面だけでなく、水素や工業等のハード的側面にもしばしば接するようになるなら、活動の軸が一層重層性を持つだろう。

 

■商業・農業

次は、商業・農業に触れる。

 

◎イオン浪江店


浪江町が避難指示解除をしたとき、先行的に商業機能を復活させていたのは、ローソン浪江町役場前店と「まち・なみ・まるしぇ」ぐらいだった。

浪江町内の本格的な商業機能のテコ入れになったのは、2019年7月にオープンしたイオン浪江店だと思う。

 

オープンの2ヶ月前、浪江町イオンリテール社は、「災害時における支援協力に関する協定」を締結した。開店にあたって、吉田数博はイオン出店の意義をこう語る。

https://www.aeon.info/company/message/magazine/pdf/vol68.pdf

「それまで町の人たちは近隣の町のスーパーに車で30分かけて行っていました。自分の町で買物ができるのは便利なだけでなく、ここが普通の町なんだと感じさせてくれる大事なこと。生活環境を整えることができほっとしています」と吉田町長は言う。

元々、イオングループは、震災発生後の数年間、岩手県の商業復興に協力(的な出店を)してきた。

それが福島県双葉郡にも拡大したのが、2016年3月の広野町にオープンしたショッピングセンター「ひろのてらす」内の「イオン広野店」である(『春の一大事2022』で、J-VILLAGEから国道沿いで最寄りのスーパーだ)。

 

町は国から企業立地補助金を取り付け、イオンはその資金援助のもと、復興ファースト型の営業を行う。本来ならイオン中枢部が堅くコントロールする商品選びを脱臼させ、町民からのリクエストのあった商品を、店長の即時判断で仕入れることができる。町の要望(=復興)を最優先にする。

https://www.aeon.info/company/message/magazine/pdf/vol68.pdf

開店準備から携わってきた二本木俊介店長は「町のどんな要請にもお応えしていこうという会社の方針もあり、お客さまから要望があった商品はすぐに揃える体制ができています」と語る。

いわば、「イオンは復興に強い」という岩手県広野町での成功モデルが、浪江にも展開されたという流れだった。イオン浪江店は、店内に広いフードコートを持ち、町民の人たちにとって”縁側”のようなコミュニティ機能を併せ持っている。

 

中には、イオンが出店することで、震災前の個人商店が戻ってきづらくなるという声もあるが、地元特化型の個人商店は多くの場合、高齢者が店主を務め、後継ぎを得られずにいる。そうした個人店が、次第に、イオンのような集約的商業店舗に役目を取って代えられるのは、本質的には少子高齢化リーマンショック不況に根ざす地方病である。

イオンが復興優先のポリシーで営業していることは、全国で見られる単純な町の景色のノーマライゼーションよりも、はるかに倫理的な結果と言ってよいだろう。

 

ここからは個別の新しい名産品に、触れていく。

 

エゴマ

浪江町役場職員だった石井絹江さんが、産業振興課時代に町おこしで推進したエゴマを、自分自身が営農者となり、浪江町の名産物にした。浪江町加倉地区に「石井農園」を設立。エゴマやカボチャの栽培から加工までをワンストップで行う。単なる作物としてでなく、高品質な食用油、ドレッシングやクッキーなど「美味しい食べ方」の提案込みで全国に出荷している。

 

トルコギキョウ

浪江町では避難指示解除後、新たな名産物にトルコギキョウが加わっている。その経緯は、広報なみえ2020/8号「浪江のこころ通信」に詳しい。

浪江町花卉(かき)研究会代表の川村博さんが、避難指示解除準備区域の再編に伴い、2013年4月に浪江町に戻って農業を再開するが、野菜から高い線量が確認されたため、震災後3年目から花作りを開始する。

農業組織の編成を町役場から進められ、2017年に浪江町花卉研究会を発足。研究開発の末、東京五輪では、メダリストに贈られるビクトリーブーケに浪江町トルコギキョウが採用されるまでなった。

 

◎タマネギ「浜の輝」

震災後、福島県双葉郡の営農再開を推進するため、タマネギを推奨作物とし、栽培のノウハウや機械的な支援を行った。浪江町にも「浪江町タマネギ生産組合」が設立。そこから生まれたオリジナル品種「浜の輝」が現在、町の名産品になっている。甘みが強く、生で食べる・料理に使う、どちらでも美味しい。道の駅なみえで「浜の輝」詰め放題イベントが開催されていたのが記憶に新しい。

 

◎ブランド化・六次産業化

いったん3つ挙げたが、いずれもブランド化、あるいは「六次産業化」を志向している。

 

それらの軸を語る前に、もともとあった福島県の農産業の特長を説明する必要がある。

 

福島県は、北海道・岩手に次いで国内3位の広大な面積を持つ。

太平洋沿いの浜通りは暖かく、冬になってもほとんど雪は降らない。しかし西へ進み、郡山・福島市のある中通りを越え、会津地方まで行くと雪深い「ザ・東北」気候になる。関東民からすれば北へ移動するに相当する気候変化が、福島県では東西移動で観測される。

 

このように福島県は「広い土地」に「すべての気候」があるため、通年型で農作物を首都圏に供給する地域となっている。

たとえば新潟・秋田の米、青森のりんご、山梨のぶどうといった「ブランド」系農産物は、その土地が偏った気候であるために、一極的に地域の命運を握る特産品をブランド化する必要がある。それとは逆の志向性を持つ「オールラウンダー福島」は、全国(特に首都圏)の町のスーパーや外食産業へ、安定した物量の「非ブランド系農産物」を供給するという特長を有していた。

 

福島県の農作物は、3.11の風評被害で大打撃を受ける。

あくまでも「風評被害」であると言うのは、人々が抱く「ケガレ」的なイメージとは無関係に、国・県や事業者自身により、安全性の科学的評価は比較的速やかに行われていたためだ。

たとえば福島県産の米であれば、2012年3月ごろには放射線量の緊急調査が完了し、数値的な安全性が公表されている。その結果、2011年度に作られた米であっても、1割引き程度の価格で70%の販売契約を取り結んでいる。このとき主な買付先となったのは、一般消費者でなく、卸売業者、量販店、外食などのBtoBだった。

企業は一般消費者に比べて、科学的な安全性が示されてさえいれば(社会への説明責任が担保されれば)、取引の間口を開きやすい。こうして、福島県の農作物は「安さ重視の業者」から販路が回復していく(だから、福島県産の野菜は忌避すると言う人のほとんどは、実際は外食等で福島県産品を日常的に口にしている。そして、そんな彼らはいまも健康に過ごしている)。

結果、ここで発生したのは「価格落ち」である。BtoBはいかに原価を抑えるかの価格勝負(の傾向がある)ため、一度敷かれた価格ラインはなかなか上がらない。

 

そこで重要になるのが、ブランド化と六次産業化である。

食味に尖った個性を出す、収穫の量よりも品質に注力し、「ブランド化」をはかる。

あるいは生産者自身が知っている「この作物の美味しい食べ方」を提案し、最初から加工をして、固有の商品名もつけたうえで市場に売り出す。これを「六次産業化」と言う(一次=生産、二次=加工、三次=販路・ブランディング。以上すべての数字を足すと、合計で六次になる)。

 

すなわち、福島県産品の価格回復(=復興)は、

  1. 「安全」をアピールし、BtoBに安価で買われる時代から、
  2. 「魅力・おいしさ」を発信し、一般消費者からも品質相当の価格で買ってもらう

この1→2シフトをすることが必要となる。これが、いまさら私が説明するのもおこがましい、福島県産品の(あるいは全国の新農業全般にも通じる)定番課題である。

 

避難指示解除後の浪江町で生まれている新たな名産品――上に書いたエゴマ、トルゴギキョウ、「浜の輝」にも、「ブランド化・六次産業化」の意思が容易に見て取れる。

そして、浪江町でそんな新しい名産品(ブランド化・六次産業化)の成果を、オンタイムで発信する強力な拠点となっているのが、我らが「道の駅なみえ」である。

 

◎道の駅なみえ

道の駅なみえが(なりわい館を除いて)オープンした直後、2020年8月2日のZoom配信『交流・情報発信拠点 福島県「道の駅なみえ」現地中継イベント』を視聴した。

菅野孝明さん(一般社団法人まちづくりなみえ事務局長)は、道の駅なみえについて、当初はそんなものよりも医療や町のインフラのほうが先決だと、町内から一部強い反対を受けていたことを語っていた。

 

だから道の駅なみえは、町民を一種説得してのオープンであったわけだが、こんにち誰の目から見ても、この商業施設の成果はめざましい。

 

自分も浪江町へ行くたび必ず足を運ぶが、つねに人で賑わい、土日祝の昼どきはフードコート満席も珍しくない。裏手のラッキー公園に足を運べば、大勢の子どもたちが遊具を奪い合い、わいわいがやがや遊んでいる。

私はインスタグラムでハッシュタグ「#浪江町」を2年ほどフォローし続けているが、道の駅なみえのオープン以降、その投稿数は確実に、飛躍的に、上がっている。道の駅なみえの”ばえる”食べ物あるいは、ラッキー公園の写真がSNS投稿数につながっている。

2022度なみえ創成小中学校の生徒数が39名であることを考えると、道の駅なみえのファミリーの賑わいは、確実に、地元だけでなく、ほかの地域から多くの家族連れが遊びに来ていることを示している。

 

具体的な数字を見てみよう。

 

道の駅なみえは、2020年8月にオープンした。

2020年度「福島県観光客入込状況」を見ると、浪江町の前年2019年観光客数は「十日市祭り 27,500人」のみだった(ゲスト出演したももクロと浪江女子発組合もこの数字に貢献している)。2020年は、十日市祭りがコロナ禍で中止を余儀なくされたが、代わりに新たに参戦した道の駅なみえで、6倍の「165,274人」を記録している。

 

町の居住人口で圧勝している「道の駅ならは」の観光客数は、同年175,115人だが、これは1年掛けての数字である。年の途中8月にオープンした道の駅なみえがそれを若干下回る程度であるから、近隣地域においても突出した成績であることが伺える。

 

さて、浪江町は復興計画の一部「浪江町総合戦略(第2期)(令和2年3月)」において、「交流・関係人口の創出」KPIに「観光客入込数」を採用している。この目標値は2024年までに年間62,000人である。

 

すると2020年時点で、道の駅なみえ単体(165,274人)で、目標値(62,000人)の倍以上達成している…ということになる。

 

県と町とで集計主体が違うため、単純比較にはなっていないかもしれない。それでも、県と町の数え方で大きく乖離があってよいことでもないし、道の駅なみえの成果度合いを伺い知るには十分だろう。

 

「オープンしたては、見てみたさに一見さんで賑わうものだ。その人たちを長期的につなぎ止められるかが重要なのだ」と思う人もいるかもしれない。

しかし、たとえば以下の記事タイトル、『復興・浪江の中心に無印あり 道の駅に出店し来場者20%増に』等の報道を見れば、むしろオープン当初より翌年以降のほうが売上・来場者数は上がっているのは確かだ。

https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/18/00514/00005/

 

このように、道の駅なみえに多数のリピーターがついているであろう理由は、実際に足を運べば、すぐ分かる。

「まちのパン屋さん ほのか」や「SakeKuraゆい」が供するソフトクリームは、イタリアの最高品質のアイスクリームマシンを導入し、道の駅の水準を超えた口溶け・甘さだし、「フードテラスかなで」の常磐モノを使った魚介メニューは、築地のそれに劣らない。

何より、地元の名産品、意欲的な町民さんたちが開発した新商品など、浪江町の人々が「誇り」に思うものが商品に並んでいる。

グランドオープンした「なみえの技・なりわい館」にある鈴木酒造さんの酒蔵コーナーでは、(私のような下戸の)酒と縁のない人たちや子どもに対しても、酒粕を材料に用いたスイーツやディナープレートが供される。それら外食の場において、多くの食器に伝統工芸品の大堀相馬焼が使われている。

道の駅なみえの中に段差はほとんど見られず、すべての出入り口が大きな開口で作られている。バリアフリーの徹底は、老若男女を問わず歓迎する。

道の駅なみえは、単純に美味しくて便利であり、それにプラスし、町民に愛されるための献身的な仕掛けに満ち溢れている。

 

二つ前の『ももクロ春の一大事』に関する文章で、平田オリザが言う「文化の自己決定能力」について書いた。それは、「自分たちの愛するものは何か、自分たちの誇りに思う文化や自然は何か、そして、そこにどんな付加価値をつければ、よそからも人が来てくれるかを自分たちで判断する能力」のことである。

道の駅なみえも、浪江町のすぐれた「文化の自己決定能力」を体現する施設である。

 

■うけどん(企画財政課)

産業振興課以外に、ももクロや浪江女子発組合が接点を持つ、もう一つの町役場の部署を挙げるなら、浪江町のイメージアップ公式キャラクター「うけどん」ちゃんを管掌する企画財政課だろう。

かつて浪江町役場が本庁機能を町内に戻したとき、組織改編を行い現在の課名になったが、それ以前の名称は「復興推進課」である。

 

うけどん誕生時の浪江町役場の告知に、原初の姿を見ることができる。

https://www.town.namie.fukushima.jp/soshiki/2/8791.html

 浪江町民の皆さんに配布するタブレット端末のキャラクターを10月に募集したところ、21名の方々から合計43点もの作品をお寄せいただきました。応募いただいた皆さん、誠にありがとうございました。

 応募作品の中から、厳正なる審査の結果、浪江町田尻(現在郡山市)の田河恵さんの作品「うけどん」が最優秀賞に決定しましたのでお知らせします。

※現在私たちが見るうけどんちゃんの頭にはイクラが乗っているが、このデザイン原案を見ると、当初は縮れた毛でありパーマ頭だったように見える。しかし、いま原案者の方の意図に触れる術はない…。

 

「うけどん」ちゃんは、もともとは、2013年に復興推進課長になった(元副町長)宮口勝美が手掛けた「浪江町絆再生タブレット事業」のために、町民から募集して考案されたキャラクターだった。

 

「絆」という言葉は、浪江町において特別な意味を持つ。

馬場有が書いた「暗中八策」の時点から明記されたキータームであると同時に、後の「復興計画第一~第三次」でも、基本方針の一つ『Ⅴ.絆の維持と持続可能なまちづくり』を担っている。

「絆」とは、一つ前の記事で書いたとおり、避難によって離れ離れになった町民に対し、浪江町属地主義を超えて人々のつながりを維持しようとする支援であると同時に、個人ごとの決断・属性上の違いにより本来起こりうる「分断」に対する抵抗である。

 

浪江町は、避難先の町民たちにタブレット端末を配布し、オリジナルの情報アプリ『なみえ新聞』や、YouTube『なみえチャンネル』で、町の情報を日々発信している。そのタブレット上で、「みんなをつなげる」ための紐帯となるキャラクターが「うけどん」ちゃんだった。

つまり、「うけどん」ちゃんのコンセプトかつ要件は、「絆の再生」である。

 

※余談。この「浪江町絆再生タブレット事業」の予算負担を巡って国と町の調整が難航していたとき、一般社団法人コード・フォー・ジャパンとして参画した中西智美さんの尽力により、施策リリースまで無事つながったと宮口勝美は言う(*1)。この中西智美さんは、「浪江町絆再生タブレット事業」と同年2014年に、平田オリザからの指名により、ふたば未来学園の立ち上げにも参画している(*2)。うけどんと平田オリザ(幕が上がる)が共通の人物でつながるとは、関係者でも何でもない分際で言うが、世界は狭い。似た問題意識を持った人たちは、どこかで間接的につながり合う。

*1:https://amp.amebaownd.com/posts/17934132

*2:https://www.hatchlab075.com/pages/4788502/about

 

浪江町のこれからのこと

『春の一大事2022 楢葉・広野・浪江 三町合同大会』を終えたあとも続く、浪江町の今後のことを触れるなら、たとえば、2022年6月、浪江駅西側に介護支援や町民の交流施設、児童の屋内外遊び場が集まった「ふれあいセンターなみえ」が開所する。

駅の東側に比べて静かな西側が、今年からは徐々に商業的賑わいを取り戻していくと、2022年「あるけあるけ大会」で、吉田数博町長から話されていたことを憶えている。

 

また、浪江駅前の再開発事業は2025年の完了予定だが、着手は今年度から始まるというから、相変わらず、風景の変化を折々感じさせる町であり続けると思う。

 

2017年以降、避難指示解除がされている浪江町のエリアは、一貫して請戸・棚塩(海沿い)~幾世橋・権現堂(市街地)~苅宿(里山)までとなり、町面積の8割を占める山間の以西エリアは帰還困難区域であり続けていた。

 

これが来年2023年に、まだまだ面積的には限られているが、「復興拠点」エリアに指定される室原・末森(苅宿の隣あたり)および、津島地区の一部に除染が行われ、避難指示解除エリアが拡大される。

※環境省HP:特定復興再生拠点 [浪江町]

 

先日、浪江町役場の津島支所は11年ぶりに業務を再開した。

 
 
 
 
 
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ここを支援拠点とし、準備宿泊する住民の対応にあたるほか、隣には町営住宅10世帯分を整備する予定だという。買い物のための移動販売車や、デマンドタクシー導入など、津島で生活を再開しようという町民のケアを具体化させつつある。

山林は放射性物質を「とらえて離さない」性質を持っているため、浪江町の全面除染の実現はまだまだ先だろうが、それでも昨年9月ようやく国が、復興拠点外(帰還困難区域)の除染を2024年度めどに開始するという方針をあきらかにした。 

 

いまなお、浪江町でアクチュアルであり続ける政治問題は多い。

上に書いた全面除染(が果たされるまで馬場有のころから待機されている帰町宣言)もそうだし、トリチウム処理水の海洋放出計画も来年2023年に控えている。

これらの問題について、ここまでの各トピックと同じ(あるいはそれ以上の)粒度で政治的意見を述べることはできるが、いまは控える。「春の一大事2022の賑やかし」という初心から、さすがにそれは逸脱が過ぎる。

 

それでも、浪江町が時代ごと・フェーズごとの政治問題と直面するとき、他地域の人間たちも「知っていること」は――そしてそれを「福島の問題」でなく「日本の問題」として理解する必要性は絶対にあるだろう。

 

ももクロ『ニッポン万歳!』にあるとおり、浪江町にも「どうか諦めず 希望をその胸に」と切に思う。

 

(つづく)

 

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次は、あーりんおよび浪江女子発組合について書くつもりだけど、おそらく『春の一大事2022』および、その翌日の居残りMondayライブまで見終えたあとに書く気がする(理由は単純に、もうイベント当日までそんなに時間がないから)。

 

あと、ここまで、さまざまな資料や、浪江町が発した広報物など、先人の知見を受け取りながら拙い文章を書いてきたが、自分調べ・自分着想のふりをした”パクリ”にならないよう、現時点で参考文献を書いておく。

 

【参考文献】

浪江町浪江町 震災記録誌 2011.3.11▶2016.3.31』

浪江町浪江町 震災・復興記録誌 2011.3.11▶2021.3.31』

浪江町『浪江のこころ通信』(H23.7~H25.12)(H26.1~H29.3)

浪江町 その他広報物多数

今井照『自治体再建――原発避難と「移動する村」』

今井照『原発事故 自治体からの証言』

今井照『地方自治体講義』

開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』

開沼博『はじめての福島学

開沼博福島第一原発廃炉図鑑』

開沼博『日本の盲点』

細野豪志・著/開沼博・編『東電福島原発事故 自己調査報告 深層証言&福島復興提言:2011+10』

小松理虔『新復興論』

平田オリザ『新しい広場をつくる』

平田オリザ『下り坂をそろそろと下る』

平田オリザ『幕が上がる』

三浦英之『白い土地 ルポ福島「帰還困難区域」とその周辺』

三浦英之『帰れない村 福島県浪江町DASH村」の10年』

除本理史/渡辺淑彦(編著)『原発災害はなぜ不均等な復興をもたらすのか』

丹波史紀/清水晶紀(編著)『ふくしま原子力災害からの複線型復興』

山川充夫/瀬戸真之(編著)『福島復興学―被災地再生と被災者生活再建に向けて』

恩田勝亘『原発に子孫の命は売れない―原発ができなかったフクシマ浪江町

西村慎太郎『「大字誌浪江町権現堂」のススメ』

堀有伸『荒野の精神医学──福島原発事故と日本的ナルシシズム

斎藤環原発依存の精神構造―日本人はなぜ原子力が「好き」なのか』

安在邦夫 (編著)『それでも花は咲く (福島(浪江町)と熊本(合志市)をつなぐ心)』

みうらひろこ『詩集:渚の午後 ふくしま浜通りから』

みうらひろこ『詩集:ふらここの涙 九年目のふくしま浜通り

NHK製作『証言記録 東日本大震災 第12回 福島県浪江町』(DVDソフト)