0)はじめに/『ももクロ春の一大事 2022』に寄せて

浪江町の風景をめぐる2つの視座

2020年2月7日にNHKで放送された『ドキュメント72時間 福島・浪江 年の瀬、ふるさとのスーパーで』を見たとき、印象に残った場面がある。

www.nhk-ondemand.jp

ある浪江町出身の男性が、解体予定の実家へ、他地域出身の妻を連れてやってくる。

撮影スタッフが、その二人に、「風景は?」と、浪江町の姿の印象を尋ねる。

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夫は、「思ったよりも普通。普通ではないんですけど、日常感があるんだなっていう感じがしますね」と答える。

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妻は、「ちょっとショッキングな感じがしますよね」と答える。

 

同じ風景を見ているが、浪江町のこれまでを知る人か否かで、印象が異なっている。

夫が用いた「日常」という言葉が、おそらく重要だろうと思う。

 

原発災害避難者が失ったのは、郷愁としての「ふるさと」ではなく、毎日のリアルな日常生活なのだ。

今井照『自治体再建 ―原発避難と「移動する村」』 P13

 

「日常」とは、たとえば毎朝シャワーを浴び、風呂場を出たところに足ふきマットがある。仕事に出かけるときには、決められた道を決められた交通手段で通る。

セルフコントローラブルな生活がルーティン化し、その始まりも終わりも意識されず、飴のように不定形に前後へ伸びる恒常性への信頼のことを「日常」と言う。

 

浪江町は3.11の福島第一原発事故により、全町避難を余儀なくされた。

当然、このイオン浪江店を訪れた男性は、浪江町にかつて存在した「日常」を、そしてその「日常」が失われた経緯を知っている。

いまやイオンという大きな商店もオープンした浪江町を巡りながら、「日常」の回復に触れ、ドキュメンタリー撮影班にその喜びをこぼしたのだろう。

 

いっぽう、町内を少し歩けば、賑わうイオンのすぐ近くにも、老朽化した空き家、人気(ひとけ)の感じられない区画は散見される。そうした都市部にはない、非活性的なディテールを「ショッキング」に感じることは理解できる。

 

浪江町出身の人の目には「日常の回復」が精彩をもって目に映る。

逆に、外部的な視座からは「いまだ回復していない」ところが特異的に飛び込んでくる。

そういった視座の差異――ここの風景を、どこの風景との対比で感じ取っているかが、なごやかな調子に、端的に現れた場面だった。

 

■「浪江町のいまを伝える」

浪江女子発組合は、2019年11月の結成以来、「浪江町のいまを伝える」というテーマと掲げている。

私は、組合員(浪江女子発組合のファンの通称)の一人として、ここで言う「浪江町のいま」とは、浪江町に現在流れている「日常」の姿であろうと理解している。

 

浪江町を、被災・避難の傷跡やある種のダークツーリズムとして見るのでなく、いま流れている「日常」に触知すること。その前提のもと、浪江町について「知ること」と「行くこと」を、およそ2年半行っている。

浪江町の魅力に触れることは、単純に楽しい。いまや、浪江町観光は、仕事の繁忙期などを抜けたときの、息抜きや趣味の一つになっている。

 

ももいろクローバーZは、当初2020年に予定されていた『ももクロ春の一大事2022 ~笑顔のチカラ つなげるオモイ in 楢葉・広野・浪江 三町合同大会~』を、コロナ禍による2年間の延期を経て、今年4/23,24に福島県J-VILLAGEで開催する。

 

このブログでは、『春の一大事』に向けた賑やかしとして、以下3つの「知っている」ことを書き連ねようと思う。一義的には、自分の気分がアガるために書く。

話の中心に浪江町を置きつつ、その前後に、『春の一大事』と浪江女子発組合のことを書く。

 

1)『ももクロ春の一大事』について知っていること

2)浪江町について知っていること

3)浪江女子発組合について知っていること

 

自分は、ももクロや(ちょっぴりセクシーでお茶目なももクロのアイドル)あーりん(こと佐々木彩夏ももクロ最年少25歳)のファンでありながら、浪江町を話の中心に置くと言った。この態度がある種、『ももクロ春の一大事』の精神の反復になると思うからだ。

 

浪江町に興味を持つことについては、ももクロやあーりんにきっかけを与えられた。

しかし自分は、ももクロを切り離して、震災・原発・復興の問題、あるいはそうしたイシューと切り離した浪江町自体に対し、直接的に関心を持つ一市民でもある。

ももクロを追って、浪江町を知る」ではなく、並走的な立場から「ももクロ"とともに"浪江町を知る」ことを志向したい。

まだ、ももクロメンバーが訪れておらず、”聖地”化していない場所でも、浪江町に新たな産業や施設が生まれれば、足を運んでみる。地域のニュースに触れ、いま浪江町および福島県双葉郡にとってのアクチュアルな問題――「いま」を知ろうとする。

 

人間が認識する「いま」は、現前している0秒の瞬間を指すのではなく、「あのときから、ここまで」という一定の時間幅を持つ。

たとえば、『春の一大事2022』day1の夜、『夜桜を見る会』が行われる(俺はチケット抽選に見事落ちた)。その会場、道の駅なみえ裏手にある請戸川岸は、比較的最近、ラッキー公園のオープンと同時期に護岸の整備が完了した。これは「浪江町のいま」である。

では、なぜ人が賑わう商業施設のそばに護岸が必要だったかというと、3.11のとき、海岸から5km離れていたため津波の直接被害をまぬがれた幾世橋地区も、請戸川と高瀬川をつたってのぼってきた津波が、いま道の駅なみえがあるところまで氾濫し、寸手のところで危機をまぬがれたことの反省があるからだ。

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浪江町 震災・復興記録誌』P21から

 

このように、「いま」の肌理を知ることは、つねに「あのとき」との対比が要請される。だから、これ以降の記述では、「いま」を知るために必要と感じられた限りで、「かつて」の話も書いていく。

 

■交流人口として

双葉郡町村および浪江町は、復興にあたり「交流人口」(あるいは関係人口)の拡大を、重要な指標に掲げている。

「交流人口」とは、そこに住んでいなくても、住民票を置いていなくても、労働あるいは観光・商業利用などの立場から、その町に訪れ、関わる人たちの人口を指す。

浪江女子発組合が、他地域から組合員の「あいのり」を誘うことも、町役場目線の用語で言えば、「交流人口」の拡大施策に位置づけられるだろう。

 

自分は浪江町民ではない。浪江町の居住人口・住民票登録人口の1になることはできない。しかし浪江町を「知ること、行くこと」で、「交流人口」の一人になることはできる。その一点に希望を持っている。

 

浪江町の「当事者」を称することはできないが、浪江町を「他人事」だと思っているわけでもない。

そんな「交流人口」のあり方として、以降、賑やかしの文章を書こうと思う。

 

(つづく)