【NY】ももいろクローバーZ 「アメリカ横断ウルトラライブ」感想(4/4)

11/19
NYでは朝から昼過ぎにかけて、MOMAに行き、長年書籍でよく慣れ親しんできた近代美術の数々を生で鑑賞した。

下記のツイートにある現地の人たちの感動を、俺は美術で味わってきた。

会場のプレイステーションシアターには、14:30ごろから並び始めた。

開場すると、空港の搭乗時よりも厳しいセキュリティチェックが行われる。
俺の前の女性は、リュックの中の化粧ポーチからメガネケースまで中身を開けてチェックされていたし、セキュリティのスタッフはモバイルバッテリーを手にこれは何だ?安全と判断して良いのか?と数秒フリーズしていた。それぐらい一点一点を吟味している。
(でもモバイルバッテリーの存在は知ってろよと思った)
巨大ビルを飛行機2機で破壊された都市の荷物チェックは、ノコギリで襲われた日本のアイドル業界のそれとは綿密さが違う。

長い荷物チェックの並びを抜け、フロアに入ると、アリーナに相当する最前スペースが5列分ぐらいまで埋まっていた。
その後ろにある二段目のフロアがガラ空きだったので、そこの最前中央を取った。
ステージとほぼ同じ高さで、何にもさえぎられず、まっすぐパフォーマンスを見ることができる。
遅く並んだ割には、かなり良い位置が取れたと思う。
後になって知るが、この場所は上下左右すべてにおいて中心部なので、ステージ上のメンバーが会場中央に目を配るとき、「うわっ、こっち見てる!」という錯覚を毎分味わえる。

VIPイベントの写真撮影時、この日も三度目の幸運に恵まれた。
撮影の自ブロックにおいて、最前列のうちの一人になった。
壇上に上げられる前に、あー、嬉しいなぁと思っていると、ほかのファン同士が推しの真後ろに行けるよう急いで位置交換を行っていた。
あーりんは奥から2番目なので、れにちゃん推しの人が、しおりん推しの人が、夏菜子推しの人がバトン渡しのように俺を前へ前へと通してくれた。
壇上に並び終わり、一番前にメンバーが座るとあーりんは俺のやや斜め前になった。

こんな具合。
黒が俺で、濃いグレーが後で話に出てくる夏菜子推しの人。

俺を気遣い、奥に回してくれた夏菜子推しの彼のほうがあーりんに近い位置になった。
彼が俺に、すみません!と言う。
いやいやいやいやいやいや、これでも十分幸せですよ!と言ったら(50cm先の有安さんのうなじの美しさに見とれていたし)、彼が前を向いて「あーりん!」と叫んだ。
最前にいるあーりんがパッとこちらを振り向く。
夏菜子推しの彼は、ここにあーりん推しがいるよと俺を指差す。
あーりんが俺を見て、なーにー?と聞いてきた。

ここまで2秒ほどの出来事である。
幸運はつねに試練の形で与えられる。

あーりんに何て答える?
いや、というか、もうあーりんが俺を見ている。
フリーズするぐらいなら何でもいいから何か言わなければ!!!

と0.5秒で思い詰めた自分が発した言葉には、自分自身、驚いた。

「どうも!」

あーりん「なにが!?笑」

俺は年内をめどに死んだほうがいいな、と思いつつ、しかし反省している暇はない。
慌てて頭を仕切り直し、本当に言いたいことは何だろうと考え、「何があっても一生ファンでいます!」と言った。
撮影が控えているので、あーりんは前に向き直しながら、「あはは!うれし〜」と言った。

最後、お見送りで並ぶメンバーの前を、一列ずつ壇上の客たちがはけるときに、あーりんの前を通ると、あーりんが俺のことを覚えていてくれたのか、あっ、と気づいた顔をして、あらためて「ありがとね〜♪」と手を振ってくれた。

舞台袖にはけた瞬間、夏菜子推しの彼に、腰が鋭角になるほど頭を下げ、ありがとうございます!!!と礼を言った。
前後にいた他のあーりん推しの人たちも、やったじゃないですか!!と興奮気味にハイタッチを求めてきてくれた。
こんなに素朴にキラキラしたファン同士の交流をするのは初めてだった。
(恥ずかしいので、いつか彼らと別の現場で再会したら、申し訳ないけど死んでもらおう)

たった数分であれ、あーりんが俺の顔を覚え、俺のことを気にかけてくれた。

真面目に言うが、俺はもう一生ライブやイベントでの席運、つまり"近さ"に恵まれなくてもいい。
何ならチケットにまったく当たらない呪いにかかっても、そんなことはももクロのファンをやめる理由に何ら値しない。

元から一生ももクロのファンでいると自分の中で誓いを立てているが、それをあーりんに明言した。
俺はあーりんより14歳年上だから、あーりんが80歳になったとき、94歳のファンでいよう。
いつか遠い遠い未来、あーりんが天国に召されるとき、マホロバケーションのMVにある天界のライブ会場で、ピンク色の魂の一つとして先入りし、開演時間を待ちわびていよう。

以上は自慢話だろうが、しかし書いた意義を説明したい。
形態はどうであれ、俺に限らずメンバーの姿形を真近で見て、ときに言葉を交わし、多幸感に包まれたファンはたくさんいる。
たとえばアメリカの人たちは、OVERTUREの練習会を終えて、壇上から降りるとき、メンバーにハイタッチのお見送りをしてもらっている。
ファンが感涙を流す場面は、会場ごとに何度も繰り返された。
この撮影会では俺だけが特別な思いをしたのではない。
それだけ神イベ(アイドル業界用語)だったのだ。

この多幸感に包まれた観客たちが、VIPイベントを終え、1時間先に控えているライブに臨むとき、自分たちは命を捧げるように今日を楽しもうと心に誓う。
その素地は、これまでのライブ本編を、一般チケットで入ってきた人たちも歓喜の渦に巻き込む空間にしていったことに大いに作用している。

プレステシアターの一般入場が開始しても、例のセキュリティチェックのおかげで少しずつしか人が入ってこない。
それでもわかるのは、ニューヨークの一般チケットは、本当にももクロを知らない、あるいは名前しか知らないレベルの人がかなり多くいる。
服装や立ち振る舞いが、見るからにふつうの、オシャレで遊び慣れしてそうなニューヨーカーたちなのだ。

VIPイベントの終わりに川上マネージャーから説明された通り、VIP320枚に対し、一般は700枚売れたと言う。
おそらくハワイもLAも、一般入場よりVIPのほうが多かったと思うが、NYは一般がVIPの2倍にまで上回った。
ハワイとLAで"ヤラれてしまった"アメリカ人たちの口コミの力とスピードはおそろしい。
最低限通路にすべきスペースを残すと、プレステシアターのフロアはほぼ満員になった。

ハワイやLAと同じく、これまでどおりパフォーマンスをすれば、初見の人たちでも何ら問題なく楽しませられることは確信していた。
場所によって手の抜き方を考えるようなグループでないことは知っている。
それでも、他の2会場に比べて、すでにももクロの楽しみ方を知っている人とそうでない人の比率において、NYは後者に寄っている。

ハワイが熱狂と叫びの空間で、LAが幸福に満ちたラウンジだったとしたら、NYは最後に来て"挑戦"だった気がする。

開演時間の8時を過ぎても、現地の人たちがライブに臨むためのグッズを買おうとしている(嬉しいじゃないかさ)のを待つと、ずいぶん遅れての開演になった。
『さくらさくら』の舞いから始まり、『夢の浮世に咲いてみな』『MOON PRIDE』の冒頭曲を聴いているとき、ふとホノルル空港に降り立ってからいままでが随分長い道のりのように思えてきた(思えばずっとせわしなく動き回ってきた)。
アメリカツアーで聴けるこの奇跡のような『夢の浮世』も『MOON PRIDE』も、もうこれが最後なんだ、と思うと、VIPイベントでの多幸感も入り混じり、涙が出てきた。

ニューヨーカーたちは、会場内のただならぬ盛り上がりに、なんだこれは?と初めは驚いた様子だったが、やはり文化的に洗練された人たちだからか、初めてのアイドルライブを楽しもうと順応に努めていることが見て分かる。

初見の彼らはコールなど入れようがないが、ノリノリに体を揺らしていたり、キャッハーと笑顔だったり、なんだこれは?楽しいぞ!となっている様子が二段目のフロア最前からよく見渡せる。
この客席を目にできることも、ツアーに参加した大きなバリューだと思った。

アンコールになり、田中将大の応援曲『My Dear Fellow』が歌われた後、矢継ぎ早に怪盗少女につなげられたとき、会場全体が"プッツン"した気がする。
ニューヨーカーとももクロの既存ファンたちが溶融し、ハワイやLAと何ら遜色ないレベルの歓声やコールが沸き起こった。

続く『ニッポン笑顔百景』でアンコールが締めくくられたとき、これで終わりだと思ったニューヨーカーたちが出口に向かい始める。
しかし、ダブルアンコールが響き出した瞬間、多くのニューヨーカーがフロアに戻り、最後の一曲を見届けることを選んだ。

メンバーがダブルアンコールに応じて現れたとき、夏菜子が「また来年もここに来れるよう、私たちはこれからも駆け抜けていきます。その思いを込めて…『走れ!』」と(俺の記憶では)言った。

4月にこのアメリカツアーが発表されたとき、企画のコンセプトは正直よく分からなかった。
というか、おそらく運営側もそんなにカチッと考えていない気がして、ファンがブラックボックスの中身を考えるのはくだらないと思っていた。
俺はただ盲目的なファンの一人として、単に「やるなら行こう」と思った。

このライブがアメリカ横断ウルトラクイズの様式を踏襲しているとおり、ももクロアメリカ進出させるというよりも、日本人をアメリカに連れて行くイベントだと川上マネージャーも何かの折に発言していた。
つまり、ある種、日本人による内向的なアメリカ旅行付きのライブであると。
しかし、ハワイ、LA、NYを回って実感させられたのは、日本人たちが思う以上に世界はももクロに開かれている、ということだった。

『走れ!』が歌い終わったとき、すべてやりきった感に包まれた。
これでアメリカツアーは完全に終わった。
客出しのBGMが『あの空へ向かって』から別の音楽に変わった後も、「世界のももクロNo.1」コールが継続している。

ももクロはおそらく、夏菜子や川上マネージャーが示唆したとおり、来年もアメリカでライブを行うだろう。
もっと長い目で見れば、ヨーロッパツアー、アジアツアーもいずれ行うと思う。
たとえば2015年に福岡ヤフオクドームでライブをした翌年には、ドームトレック2016で全国のドーム・スタジアムを回ったように。

このアメリカツアーは、これから先の展開を自ずと予感させられる形の成功を収めた。
それはどの都市で何人動員したといった量の問題ではない。
行く先々の都市でアメリカの人々に聖痕を刻み込んだ、という質的な意味で成功を収めている。
それを見届けることができた。

また次も行こうと思う。

NYのライブが終わったとき、会場内に寂寥の念は感じられなかった。
終わったのでなく、ここからが始まりだという兆候的な予感に満ちていたことを、ありありと思い出す。