【Hawaii】ももいろクローバーZ 「アメリカ横断ウルトラライブ」感想(2/4)

11/15 14時ごろ、ホテルにチェックインし荷物を置いたら、ペンライトとiPhone、モバイルWi-Fiだけの身軽な格好で(すなわちそれを手に握っただけの全裸の状態で)ハワイのライブ会場であるRepublikに向かった。

途中、Twitterで人様のつぶやきを検索し、開場前の行列模様を確認すると、みんな会場の外壁に背をつけ、座って列をなしている。

昼食をまだ摂っていなかったので、座った並び方ならモノを食べやすい環境だろうと思い、道すがらのダイナーでオムレツプレートを購入した。

行列の最後尾に到着すると、みんな立っていた。
泣いた。

地べたに座れるのは朝早くに並び、会場の真近に位置できた人たちの特権であることを知った。

それでも買ってしまったものは仕方ない。
オムレツプレートを開いた。
立ったまま左手にプレート、右手にフォークで食べようとしたが、なぜかフォークでオムレツを断ち切れない。
オムレツの底部にカリカリのベーコンが敷き詰められていることに気づいた。
フォークを左手、ナイフを右手に持たないと食べられない。

恥ずかしいが行列の中、座って膝にプレートを乗せ、優雅にフォークとナイフでオムレツを食べ始めた。
恥は、旅に出れば少なからず湧いて出る粕である。
「まあ、知り合いはいないし」の精神だったが、後ろから「すみません、ここは空いてますか?」と尋ねてきた人の顔を見て吃驚仰天した。

なぜ人が好きなアイドルグループのライブに来たときに、
その行列の最後尾でフォークとナイフでオムレツを食べているときに、
ももクロファンという伏線など一切なかった昔の同僚が、
よりによってハワイという数限られたファンしか来ない場所に、
しかも行列の真隣に、

現れるかなああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

と根源的な問いを神に発した。
心の中で響いてきた神の答えは「プゲラ」だった。

何より、お互いあーりんの担当カラーであるピンクのTシャツを着て、推しかぶり(アイドル業界用語)をしていることも何となく気まずかった。

もともと当時の部署は異なり、気心の知れた仲ではなかったので、互いに一瞬、下からライトを当てられた顔で瞳孔を開かせただけで、見知った仲という体での会話は発生しなかった。
以降この人は、ライブの感想に(および俺の人生に)登場してこない。

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16:50

開場し中に入ると、日本で例えれば、リキッドルーム程度の箱だった。
前もった噂ではRepublikは1500人のキャパシティと言われていたが、直に立った感想では、たぶん500人も入らないんじゃないか。
(でも俺は測量士ではないので、この感覚に根拠はない)
最前列とステージの間には、1mの距離もない。
6万人のスタジアムを埋めるももクロのライブを、こんな弁当箱の中で見れるのか?という驚きに入場一番で包まれたファンは多いだろう。
後方にラウンジもあるので、おそらくライブハウスだけでなくクラブの機能も有している。
廃墟のような外観から察するに、ここで日ごろドラッグや闇金の受け渡しなどが行われている可能性は60%ぐらい見積もってもよいと思った。

ほどなくVIPチケットを購入した人たち向けのイベント(meet & greet)がスタートした。
内容は割愛する。
VIPチケットを買った人間に絞られている場なので、運営サイドが内容の一般公開を自明と見なしているか定かでないからだ。
むろん、そんなにキリキリ言われることもないだろうが、そもそも他の人が俺より上手にレポートしてくれる。

VIPイベントが終わると、本編のライブ開始まで1時間半、フロアのその場で待たなくてはならない。
(休むためにフロア外に出れば、せっかく得た好位置を失うことになる)
なにぶんフロアはぎゅうぎゅう詰めなので、床に尻をつけて座ると周りの面積をいくぶん奪うことになる。
本当に耐えられない人だけが腰を落とし、だいたいの人たちは立ちっぱなしという状況になっていた。

あいにく俺は元々腰が弱いほうなので、途中で耐えきれず、尻をつけず膝を曲げて体を落とす座り方をした。
その瞬間、真ん前の人の尻が俺の顔とキスできる距離にある状態でブーーーーーと屁をこいてきた。
漫☆画太郎作品で屁を浴びた人たちがよく言う「くせーーー!」「目にしみるーーーー!」が頭の中で再現された。

この屁は偶然だろうか。
もし、座ることのマナー違反に怒りを覚えた彼が、たしなめる意図をもって屁を放ったのだとしたら俺にはとても耐えられない。

19:45ごろから、開演前をしめす和楽器のBGMが流れ始める。
観客たちの期待がふつふつと高まっていく。
20時きっかりになっても、まだ始まらない。
そんなのはよくあることだし、別に責められる話ではないが、狭い空間で長時間まだかまだかと待ちわびてきた観客たちは暴発寸前といった趣きで、推しのメンバー名を叫び始める。
これは場を盛り上げるための歓声というよりも、咆哮に近かったと思う。
熱気も、イキフンでなく、物理的な気温のほうの意味で高まっている。
腕を持ち上げてみると、頭上にこもった熱気に火傷しかけた。

開演した。

童謡の『さくらさくら』に乗せて、華やかな着物を着た花柳社中(と後で知る)の二人が舞いをする。
舞いの片手には、花をたっぷり実らせた桜の枝を持っている。
『さくらさくら』のメロディが一巡すると、曲にビートが乗り、ピッチが上がり、ついにステージ上に、キラキラの光沢を帯びた着物に包まれたももいろクローバーZの5人が現れた。

※衣装はこれ


美しい。
本当に美しいと思った。
黒を基調とした暗い空間の中で、メンバーの5色がミラーボールのような輝きを発している。
美しいと言っても、見とれる類の受け止め方はされていない。
フロアの観客たちは、美しさに絶叫した。
ライブの開演時によくある、フーーーや、イエーーーーではなく、

男「うあ゛ーーーーーー」
女「かわい゛い゛い゛い゛ーーーーーー」

といった、語尾に濁点のつく叫喚がほうぼうから聞こえてくる。
あの空間では、頭をかきむしる、正気を失う美しさだった。

『さくらさくら』に合わせて、れにちゃん、ももか、しおりん、あーりん、かなこの順番で並びから一歩前に出て、桜の枝花を片手にひらりと舞を見せる。
観客たちに"メンバーの実在"を教えてくれる。
『さくらさくら』が流れ終えると、スポットライト外に一度下がったメンバーたちが着物を脱ぐ。
より身軽な桃神祭2015の衣装になったところで、メンバーはステージ前面の位置に着き、座る。
そして『夢の浮世に咲いてみな』のイントロが流れ始めた瞬間、フロア中に甲高い歓喜の声が上がる。

脱いだ着物は、もうこの先では現れない。
言うなればライブの冒頭で、美のためだけに(自律的な美として)用意されたものだった。

今から振り返ると、だいぶむかしに読んだ中井正一『美学入門』で紹介されていた古代中国の守衛の話を思い出す。
冬の城門を見張る守衛は、その場を一切動かず、外敵が潜んでいるかもしれない地平の先をじっと見据える。
何時間も動かないから、彼の鎧は、全身が霜で凍りついていく。
守衛の交代時間を迎え、彼が務めをまっとうし、その場を動く瞬間、鎧をまとっていた氷がシャンシャンと光り輝きながら地面に落ちていく。
この氷の輝き、「耐え忍んできた人が身軽になるときの輝き」が、古代中国の美の理念型として語り継がれていたと言う。

開演直前のRepublikを包んでいた暴発的とも言える興奮は、よくも悪くも、観客たちにかけられていた抑圧に起因しているだろう。
開演まで長時間立ちっぱなしだったことだけに絞った話ではない。

ここにいる人たちはハワイまで来た。
そのために慣れない言語に何度も触れてきた。
固い意志と煩雑な手続きをもって、はじめて到着できる土地である。
現地の人たちは、会場のアクセスに優れているが、もっと深刻な抑圧にさらされてきている。
すなわち、「ずっとこのときを待っていた」。
こうした抑圧が、ももクロが身にまとった着物の輝きによって、そして早々に脱ぎ捨てられ身軽になることによって浄化されていく。

ファンたちがハワイに来たのは何のためか。
ももクロのライブを見るためである。
しかし、ライブにたどり着くまでの過程が長いから、美味しい食事や観光など、その他の目的が次々と付随し始める。
ももクロだけじゃなくて、観光も楽しみだな☆」と思う。
それはおそらく正しい。
なのに、ライブが始まるとき、みぞおちに走るざわつきとともに、いや、やはり自分たちは"これ"が目的だったのだと気づく。
ここに向かうまでのあの楽しい時間の過ごし方は、実は、ずっと"これ"の待ち方の変奏だったのだと自覚する。
そして、ついに"これ"すなわち、ももクロのライブのときが来た。
その気づきと喜びに咆哮する。
爆発する。

『夢の浮世に咲いてみな』のイントロが流れた瞬間、フロア内に圧縮が起きた。

観客たちが前へ前へと押し寄せ、その力が少しでも弱い人間は後ろへと逆流させられる。
俺は、ももクロの小さい会場のライブにこれまで一度も当選してこなかったので、初めての圧縮体験だった。
一度上げた腕を肩より下にさげられない。
前の観客たちの腕が林のように生い茂り、その隙間からしかステージ上のメンバーを見ることができない。
よくアイドル好きの人たちが、現場を自嘲し「オタクは臭い」といった話をするが、俺は運が良いのか4年ほどももクロのコンサートに行く中で「うわっ、くせえ!」と思ったことは一度もない。
しかし、この日のRepublikは臭かった。
ファンたちが圧縮で互いの汗を交換する。
ふだん運動しない人間同士が皮下に溜め込んでいた老廃物をミストのように吹き付け合う。
本当に臭い。
なのに、涙が出そうなほど熱狂している。

リンクは失念したが、どこかで見かけたツイートによると、二曲目『MOON PRIDE』で、コールの勝手を知らない現地の女性が盛り上がりすぎて、アアアアアアーーーーッッッッと叫んだと言う。
ただ直情的に叫ぶのは、あの空間の特徴をよく表しているなと思った。

尋常を逸した興奮と、アイドルの現場の勝手をそこまで知らない外国人たちが加わること、この二つによって観客たちの姿勢に変化が生じた。
つまり、ライブ中のコールや歓声が、プロトコル(共同体の成員認定をし合うための立ち振る舞いルール)でなく、情動の発露という原始形へと揺り戻されている。
(ないし、あの場ではプロトコルとしての要素が徹底的に希薄化されている)
叫びは、情動発露の最小単位だった。

「現場の雰囲気」の話はここまでにする。
演出の話に移る。

今回のセットリストおよび演出は、日本の四季を表現したものである。
アメリカツアーの演出家を担当したあーりんが直接そう言っているし、ライブ中の英語ナレーションでも、季節パートが変わるたび説明されている。

セットリストに対する季節の区切りかたは、たぶんこうだろう。

さくらさくら
夢の浮世に咲いてみな
MOON PRIDE
マホロバケーション
キミノアト

ココ☆ナツ
ワニとシャンプー
ももいろ太鼓どどんが節

ムーンライト伝説
Zの誓い
ザ・ゴールデン・ヒストリー

空のカーテン
サンタさん
あの空へ向かって

  • アンコール

LinkLink
行くぜ!怪盗少女
ニッポン笑顔百景

  • ダブルアンコール

走れ!

※LAとNYでは、『LinkLink』が『CHALA-HEAD-CHALA』に差し代わっている。
※NYではアンコールに、さらに『My Dear Fellow』が追加されている。

『マホロバケーション』の後、メンバーが一度はけると、花柳社中の踊り子が番傘を用いた舞いを行う。
舞いながら傘を一つずつ、計5つをステージ上に置くと、再びメンバーが現れ、その傘を持って『キミノアト』が歌われる。
確かにこの曲の歌詞には「入れてくれた傘のようにやさしい色をしてた」とある。
また『キミノアト』は「旅立つ君」に捧げられた曲であるから、卒業シーズンである春に位置付けられるのだろう。
("早見あかりのことを歌っている説"を引き合いには出したりしないからな)

今回のツアーでは、ヒダノ修一の和太鼓パフォーマンスも掛け値なしに素晴らしかった。
曲の合間に現れ、和太鼓の超絶技巧ソロを披露する。
用いる楽器は和太鼓だが、残響を伴わせながら乱反射的な打楽器音を響かせるという点で、ジャズドラムの披露に近いと思った。
ヒダノ修一はセットリスト内でも『ココ☆ナツ』や『ももいろ太鼓どどんが節』に演奏で参加する。
そのとき、和太鼓にマイクはつけられていない。
メンバーの歌声やトラックはスピーカーから出力されるいっぽう、和太鼓は生音で並走し、会場内の低音に厚みを与えている。
特に『ももいろ太鼓どどんが節』では、メンバーたちも「ももクロ和楽器レボリューションZ」で身につけたスキルを活かし、ヒダノ修一含め計六人で和太鼓を披露した。

『ザ・ゴールデン・ヒストリー』で収穫の秋が歌われた後は、メンバーがはけると、花柳社中の二人が大きくふわふわした羽衣のような布をたゆたわせ、舞う。
その布が舞い上がった下をくぐり、メンバーたちが現れると「冬が来た」ことを曲中最後に告げる『空のカーテン』が歌われる。
(おそらく、ひらひらした布は「カーテン」から連想されたものだろう)

例示が長くなったが、つまり幕間の演目一つひとつは、ライブそのものと溶融するように関わってくる。
幕間は、流れをリセットするためのものでなく、逆に、流れ(季節)を途切れさせず次にパスするためのものである。
あーりんは以前、月刊TAKAHASHIの演出について、セトリの曲すべてその配置に意図があるから、ファンのみんなも読み解いてほしいな、とすごいことを言っていた。
賑やかな曲目の水面下で、論理的な連綿を潜ませるというあーりんの演出方法は、アメリカツアーでも踏襲されていた。
むしろ、その形式において、完全に次のレベルに達していることを見せつけてくれた。

アンコールを除いた本編最後の『あの空へ向かって』は、『キミノアト』とは対象的に、「光きらめく明日へ ぼくらは道を進むよ」「希望信じて進めば、どんな壁も乗り越えられる」と、不安な向こう側へと旅立つ自分たち自身に捧げられた歌である。

『キミノアト』が卒業していった後の話であるから春に位置付けられるいっぽう、『あの空へ向かって』はこれから旅立つ卒業前の、冬の終わりに位置付けられる。

(話を逸らすと、不安に溢れる外界であっても光の差す方向ならそこに向かわなくてはいけないという決意は、『WE ARE BORN』の胎内から出るくだりの歌詞でも歌われている。『あの空へ向かって』がももクロの始まりを歌ったように、『WE ARE BORN』も、ももクロ第三章の始まりを歌った曲だった)

一年を終え、世界が配置を変えていく「卒業」というモーメントを、冬(あの空へ向かって)と春(キミノアト)で挟み込むことで、あーりんが組んだセットリストは、終わりが始まりであるような循環的な構造を実現している。

あーりん推しにとって、このライブはとても幸せで、かつモニュメンタルな時間だった。
あーりんの知性を一生かけて追っていきたい。

この完成された本編を終え、アンコールに移ったとき、次はコンセプトにとらわれない軽やかな時間になる。
続くダブルアンコールは完全な自然発生だった。

ファンにとってダブアンは背徳的である。
予定時間の範囲内で余力を残さず出し切ってくれているメンバーに対し、酷な身体的負荷を与えることになりかねない。
また、すでに会場の時間制限ギリギリまで上演してくれている場合、ダブアンはおもちゃをせがむ子どものわがままになる。
だからこそ、メンバーが満面の笑顔で現れ、「ダブルアンコールありがとうございました!」と言われたとき、まず深い安堵を覚える。
そして本当の最後の曲として、「走れ!」と言われたとき、その安堵を受け継ぐように、気持ちは歓喜に変わっていく。
笑顔が止まらない。

すべてが終わったとき、圧縮と高揚で、もう全身バラバラになるような疲労感に襲われていた。
しかし、疲労感は自覚されず、こんなに幸せな空間があるのか?と驚きに頭は支配されている。
その驚きを友人知人同士で確かめ合う興奮した声がほうぼうから聞こえてくる。
そこには英語も飛び交っている。

後ろにいたハワイの女性は、目を見開き、あーーあーーあーーと、もはや無国籍な喃語を発していた。
このライブを見たハワイの人たちは、もう決定的に、不可逆な一種の楔を打ち込まれるように、ももクロが好きになるだろうと思った。
そう確信させられる歓声と熱気だった。

ももクロアメリカツアー初日、ハワイ公演は成功した。