1)個人主義

幼いころ、多動児だった。
あまり多くは語りたくないが、頭が悪いことと不潔であることを極めていた。

俺はハゲている。
ハゲデビューは早く、小学3年生あたりから頭頂部が薄い。
当時はJリーグ全盛期だったので、運動音痴な俺を指して、よく「サッカーのできないアルシンド」と言われた(そんな社会の負債でしかない存在ってある?)。
自分以外に小学生の時点でハゲている親族は見当たらないので、さすがに遺伝子だけのせいとは考えづらい。

おそらく不潔だった時分、洗髪を怠った結果だと思っている。
いまでこそ毎日風呂に入り、歯を磨いている。
鼻毛を切るし、両津勘吉になるのを避ける程度に眉毛も手入れする。
爪に垢が詰まっていることもない。
清潔なつもりでいる。

フロイトいわく、赤ん坊は放っておけば自らの糞便を口にするが、それを親が制止することが「文明/文明外」の弁別の第一歩になる。
古代ローマが巨大な地下水路を設け、糞便を地上から隠ぺいする衛生管理を行ったことで西欧文明の端緒たりえたように、清潔であることは「文明参加」のチケットになる。

いまでこそ俺も清潔を通じて社会に紛れ込んでいるが、たとえばガス室から逃げおおせたユダヤ人が強制収容所で施された刺青を腕に残しているように、俺の頭頂部のハゲも「かつて不潔だった」事実を一生忘れさせまいと刻み込まれたスティグマのように思える。

俺は不潔だった。
そして小学生のころ、多動児なりによく授業を妨害し、汚い言葉を口にした。

教師や親、あるいは同級生たちからたびたび叱責されても、ちびまる子ちゃんの山田のように「あはは〜」と痴愚の道を突き進んだが、いっぽう多くの人々が「demioくんは終わっている」と言うのを聞くうち、客観的・科学的に見れば、やはり自分は終わっているんだろうという考えが深く刻み込まれた。

その考えは、思春期になり幼さゆえの衝動を失うと、重く静かなダメージに変わっていき性格が暗くなった。
根本敬松尾スズキ福満しげゆきもそうだったというので、「調子に乗ったバカガキが一転し、中学生になると暗くなる」のは多動児あるあるなのだと思う。

結果、中学生のころには「頭が悪い」「不潔」に加えて「暗い」の三重苦を負った。
さらに言えば顔の造形もよくないしハゲというハンディキャップもあるので、数えるだけ増えていくn重苦だった。
女子からは嫌われ、人付き合いにも消極的になり、中学3年間で放課後に友だちと遊んだことは一度もなかった。

それなりにつらかった。

誰とも支えあうことができないという前提のもと、自らの幸せは自分一人ですべて構築しなければいけないというオブセッションを持った。
読書、映画、音楽、洋服、おいしい店で食事することなど、いまでこそ人生を忙しくする程度にさまざまな趣味を持ちあわせているが、いずれも友人の輪の中ではぐくんできたものではない。
ただ一人で完結する「半径1メートルの幸福圏」を構築していく営みだった。

以前(一人暮らしをしているとき)こういったツイートを書いた。



趣味も、このように快のコックピットを作り上げていくことの同類項として存在する。

また、いま俺は無職だが、昨年度まで社会人として自活していた。
すなわち、n重苦の身分から、どうにかして一定の社会性を得てきたと言える。

お腹に力を入れた聞き取りやすい話し方、スーツと靴の選び方、あるいはカラオケでの時間の過ごし方…など、ふつうの人なら自然に体得していくであろうあらゆる挙動を、社交ダンスの素人がステップを学ぶようなたどたどしさですべて習得してきた。
それは本当に辟易する勉強量だった。
スラムダンクで陵南バスケ部の面々が、顧問から「お前たちがやってきた練習量を思い出せ」と煽られたとき、全員の顔に縦線が入る。
俺はいまだ欠損だらけの人格だが、それでも"社会性"の習得に対し、陵南バスケ部と同じ吐き気を憶える。

かくなる多動児から自立するまでの過程で、「自分はすべて自分が生かすべき」ということが強固な道徳律になった。

人は一人である。

たとえばTwitterなどで多くの人とつながり、有機的な連帯を築けていても、その社交場は薄氷のうえに設営されている。

食うに窮して故郷に帰る、心の病を患う、誰と誰がセックスする、といった偶々でしかない、しかし物質性をもった出来事によってたちまち人と人のつながりは解体される。

そうした"死"を見届けることへの覚悟、いつか一人に戻る可能性に覚悟をもった者だけが、薄氷上の戯れに参加する権利を持つ。
言い換えれば、「死を共有する」ことだけが共同性の可能な在り方だと信じてやまない。

(続く)

0)女性を人間と呼べるかどうかはまだ議論の余地があるだろうが、俺が生涯結婚すべきでないことに疑いの余地はない。

俺はよくTwitterで女性を叩く。
女性という生き物を軽蔑し、憎らしく思っているからだ。
そして同時に、女性に劣情をもよおす。
軽蔑しながら勃起している。

勃起は、すごい。
勃起は自律神経だから、理性とリンクしていない。
たとえばエロ本に載っている全裸の女性に興奮したとき、それがただの表象物だと知らないペニスは、そのエロ本の中の全裸の女性に挿入するため、膨らみ、硬化する。
あるいは、職場の女性のシャツのたゆみからブラジャーが覗けたのに勃起したときも、ペニスは職場の女性に挿入する準備として勃起している。

勃起しているとき、実際セックスできる状況かどうかという理性的な判断に関係なく、ペニスは必ず"そこに入ろうとしている"。
これほど強い「存在の希求」があるだろうか。

かくなる勃起が、軽蔑という拒絶の系と同時に成り立つことは、神が男に残した致命的な「バグ」に違いない。

あるいは、エンジンというものが極端な温度差によって激しいピストン運動を実現するように、人類にも上述のような矛盾(温度差)が施されたことによって、かの進歩と繁殖が促されてきたのかもしれない。
この問題は根深い。

俺は、女性に対する「軽蔑と勃起」を、さまざまな言葉の変奏として、これまでTwitterでつぶやいてきた。
Twitterを始めてからずっと、と考えれば、かれこれ4年間は続けていることになる。

こんにち、Twitterで女性を叩くことは一般化している。
俺に限らず、多くの人が行う。
もはや実際に女性が嫌いか否かなど問題でなく、ただ広く共有された「ウケる技術」に堕していると言えるかもしれない。

女性を軽蔑するツイートをしたとき、「お気に入りに登録」のうち、少なくない割合が女性からだったりする。
そういう女性のアカウントを開き、ツイートを遡ると、同性(すなわち女性)を叩いていることがある。
つまり、女性同士が蟲毒を繰り広げている中、そのソースとして参照されている。

女性を叩くことは、男にとって「ウケる技術」に、女性にとっては「卓越化の技術」になっている。
かのように一般化している。

こうした状況にいつも嫌気がさしている。
賢明な人たちは、女性を叩くツイートに飽きている。

もんっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっのすごく飽きている。

だから俺も女性を叩くツイートを少しセーブしているところがある。

しかし、前提を確かめると、そもそも俺は「芸風」で女性を叩いているのではない。
繰り返すと「女性という生き物を軽蔑し、憎らしく思っているから」だ。
飽きるどうこうでなく、事実陳述をしている。
生じた衝動を言葉にせず溜めこむことは、心身によくない。
小鳥が日々さえずるのも健康のためである。

にもかかわらず、女性への鬱屈とした感情を抑え込んでいることは、それがトレンドに順応した小賢しい振る舞いにすぎないことを含め、自分を抑鬱的な気分にさせる。

そうでなく、もっと、しっかりと伝えたい。
私は、本当に"女性が嫌い"なのだということを。

"女性が嫌い"であると言っても、それは心の内側の話――「言ったもん勝ち」なことでしかない。
だから、この思いをより外在的なレベルに置き換えると、俺は「生涯結婚しない」という決意を持っている。

ときどき人と将来のことを語り合うとき、結婚するつもりはない旨を話さざるえないことがある。
しばしば、

「またまたー」
「なに言ってんのー」
「キミがその気になればイケると思うんだけどなー」

といったことを言われる。

それは俺の人となりを見る限り、決して結婚に絶望すべきほど低劣を極めた印象は抱かないという温かい評価のようである。
もしくは、たとえば小学生の男子が性の照れから「オレ、女なんて全然興味ないしぃ」と強弁するのを、微笑ましく諌めてくれているようにも思える。

しかし、俺も決して人の気を揉もうとして非婚を言明しているわけではない。

たとえば俺は、社内で何らかの改善計画を立ち上げ、いろいろな人たちに役割と期限を割りあて、何か問題が起きれば情報収集に努め、導き出された原因にもとづいた対処を実行し、経過観察まで完遂する、といったことができる。

その程度にリアリスティックな思考回路を、自分の将来設計にも用いた結果として「生涯結婚しない」という結論に至っている。

だからこそ、結論に至るまでの理路は決してシンプルでない。
「結婚すべき」と説いてくる人に何か答えるとき、1時間のプレゼンテーションが許されているわけではないため、簡潔に「きっとDV夫になるので」といった答え方で濁す。

5割は、軽蔑の眼差しをもって、話を切り上げてくれる。
もう5割は、ただの露悪的な冗談と受け取り、引き続き「彼に人の愛の素晴らしさ、家族を持つ喜び、愛する妻がいつもそばにいる安らぎを教えてやろう」という意気込みで語りかけてくる。

つらい。

なのに、こういった「結婚を説かれる」ことが年に数回、コンスタントに発生する。
地味に気苦労を負う。

そんな中、俺はブログを持っている。
「1時間のプレゼンテーション」に代わる場を持っている。
だから、ここに「生涯結婚しない」考えを書き残そうと思う。

長い文章になる。
でも、なぜ女性が嫌いなのか、なぜ結婚しないのか問われるたび、「詳しくはwebで」の一言で応じられるようになると考えれば、むしろ長い目で見て「字数の節約」になるはずだと信じたい。

〜もくじ〜

1)個人主義
2)文物主義
3)女性は人間ではない
4)-総論- 私は生涯結婚すべきでないことの証明

(続く)

恋バナ

Twitterを始めるよりも前、mixiを利用していたころは、このブログにたまに書くような長い文章を、よく日記として書いていた。

当時は一桁台のマイミクたちに向けて、「お前たちは新着日記のリンクカラーの青を見たら、俺に興味がないくせに、その青をクリックせずにいられないインターネットに条件反射を叩きこまれたパブロフの犬どもだ」と悪態をつき、そのままコメントがまったくつかなかったり、溜まる鬱憤をくすぶらせていた時期だった。

そんな中、どこからともなく俺を見つけ、俺の薄っぺらいユーモアを「私しか知らない」というどうでもいい事実でかさ増しして評価してくれる女性がときおり現れた。
そういう女性が一人ついていると、別の女性は現れない。
そういう女性が俺に飽きて去っていくと、別の同じような女性が現れる。
質の低いストリートミュージシャンと同じクソダサい力学・磁場が当時発生していたが、セックスに発展したことは一度もなかったので本当にダサいだけの状況だった。

話が変わり、かつて森ガールというものが世間に登場したとき、それを揶揄するコミュニティも同時にmixiに立ち上がった。

当時のmixiは、文化資本を大して持ち合わせていない代わりに、自らをふわふわした人格(文体)に演出することで、何ら価値ある情報を発信しなくても「おしゃれ」という卓越性が確保できるよう励むゴミのような女性がブワブワと湧いていた。

いまもそういう手合いはいるが、当時はいま以上にとにかく無批判に跋扈していた気がする。
インターネットのどこに目を向けても、文化を自らのアクセサリーにしか扱わない女性が溢れていたことに辟易していたし、そういう女性が真剣に苦手なので、比喩でなく軽く鬱っぽくすらなっていた。

そのため、mixiに登場した森ガールを揶揄するコミュニティは、自分が長らく臓腑に溜め込んでいた不満を排出する先として、まっさらに白く輝く雪原のように映った。
とにかく村上龍に負けないぐらいの文字量で、森ガールと呼ばれる人種を揶揄し倒した。
いまでこそ「サブカル」や「〜女子」という括りを揶揄すること自体、陳腐化して久しいが、まだそうでなかった当時は手探りながら批判のボキャブラリーを彫琢していた気がする。

最終的に、森ガールを揶揄するコミュニティも、つまらない馴れ合いであったり参加者同士の"真のおしゃれ"をめぐるヒエラルキーが発生し始めたので、結局は森ガールと同じパイを奪い合う女性たちの虫カゴでしかないと思い、溜まった鬱憤をおおかた吐き出せたこともあり、退会した。

退会したタイミングで、俺にマイミク申請してきた女性がいた。
彼女は件のコミュニティを通じて俺に興味を持ったらしい。
俺の日記にコメントをつけたり、個別に温かいメッセージを送ってきたり、つまり当時の「どこからともなく俺を見つけ(…)評価してくれる女性」の位置に収まった。

彼女は、そもそも森ガールなど歯牙にもかけない、その枠組みの頂点クラスに位置するハイソサエティーの女性だった。
家庭環境が犬神家級に禍々しく、こちらからはあまり詳しく聞けない事情により、祖父母の億単位の遺産を孫娘であるその人が使い放題らしい。

彼女の好きなブランドはランバンやクロエ。
仕事の都合上、定期的にヨーロッパを訪れているので、そのほか欧米のモードに直に接していないと知り得ないような新進のファッションブランドにも精通している。
彼女は幼いころから英才教育を叩きこまれてきたので、英語とフランス語はビジネルレベルに話すことができたし、大学で言語学を修めた一環として、独伊露もある程度使えると言う。
こと語学に関しては、軽い天才だった。
ある時期から(インターネットに電話番号を晒している)俺に電話をかけてくるようになった彼女は、ときどきふざけて外国語で喋り出し、まったく理解できない高卒の男が沈黙する様を楽しんでいた。

彼女は関西に住んでいて、月に一度東京に来ると、青山や表参道で何十万あるいは百何万の買い物をしていく。

ある日、彼女が住所を教えてくれたのでストリートビューで外観を確かめてみたら、要塞感の溢れるメタリックなマンションで、オートロックを3回以上打ち間違えたら自動的にレーザーで射殺されるであろう雰囲気だった。

彼女が洋服だけでなく、音楽、文学、グルメ、インテリア、雑貨すべてに至り、欧米のハイエンドな流行を"定価で"享受していることは、日々のmixi日記を通じて実感させられた。

その日記に、いわゆる森ガールレベルの女性たちが「わあ、すごいです」と大量のコメントを寄せてくる。
彼女はそういう「コンビニの雑誌棚で学べるレベルのおしゃれ」に少ない持ち金を費やす女性たちを指して、「どうせちゃんとした社交の場に属していない時点で何者にもなれないのに」と哀れんでいた。
そんな身も蓋もない思いが積もっていたこともあり、森ガールを揶揄するコミュニティをROMしていたらしい。

彼女の性格は、率直に言って悪かった。

ある日聞いた話では、

・新作のトレンチコートを買うため、バーバリーに立ち寄った際、たまたま面識のない新人店員しかいなく、挨拶がされなかった。
・結果、あえてバーバリーを離れ、近くにあるアクアスキュータムでトレンチコートを買った。
・帰り際、バーバリーの前を通ると馴染みのベテラン店員がこちらに気づき、挨拶してきた。新人店員が挨拶しなかったことと、そのため今年の秋冬はアクアスキュータムのお世話になる旨を伝え、その場を立ち去った。
・すると後ほどバーバリーの該当店舗のエリアマネージャーから電話がかかってきて、店長ともども菓子折りを持ってお詫びに伺いたいと申し出てきた。

といったところで、彼女は下卑た笑い声をあげていた。
(持参された和菓子は好みに合わなかったらしい)

単にバーバリーの店員が挨拶を一度欠いただけであり、それほど深刻な無礼をはたらいたわけではない。
しかし年間100万単位の金を落とす顧客が離れることを宣言してきたとき、たとえ理不尽な理屈でも、小売店は迷わず「お詫び」をするという話だった。

彼女はある時期を境に、mixi上のメッセージのやりとりだけで飽きたらなくなり、先述のとおり、俺に電話をかけてくるようになった。

それを4,5回繰り返したら、よく分からないが、恋心を告白された。
俺との会話はとても面白いらしい。
いつも日中は「夜になったらdemioさんと電話ができる」ことを考え、胸が高鳴っているという。
かつ俺の声がよいことを、たびたび褒められた。
自分で言うのも何だが、そこそこ通る声をしている。
むかしTwitterの日下部さんに初めて会ったとき、2時間ぐらい会話したところで、声に対し「聞いててだんだん気持ちよくなってくる」と言われた。

話を戻す。

あいにく彼女はメンタルヘルスを損なっている人だった。
詳しい病名は聞けなかったが、いっときは病状の重さと投薬の量により、一生蔵に閉じ込められる級の廃人になりかけたらしい。
だから、どれだけ無茶苦茶な言動や金遣いをしても、近親からすると「よくここまで立ち直ってくれた」の枠内に収まり続け、「生きてるだけで丸儲け」状態なのだという。

こう言ってはなんだけど、彼女から熱い感情を寄せられていることも、山の天気というか、鬼束ちひろの言動と同程度に受け止めなくてはいけないと思った。

彼女は10年来の不眠に悩まされていて、睡眠薬は医師に指示されている量の数倍を連日アルコールとともに流し込む。
こうしないと眠れないという。
しかしそのような眠り方は、まるで毎晩自殺を再現するようで、どす黒い淵に落ちていくような絶望感に包まれながら意識が薄らいでいくらしい。

だから連日連夜、俺に電話をかけてくる。
睡眠薬を飲んでから意識が落ちるまでの間、俺と会話して、幸せな気持ちのまま眠れるようにしたいという。
(俺は彼女の寝息を確認してから通話を切断する)

本来、睡眠が恐怖対象である彼女にとって、そうした就寝の仕方は天国の心地らしい。
翌朝には早起きした彼女から、愛の言葉に埋め尽くされたお礼のメッセージ(mixi上のやつ)が届いていた。

俺は端的につらかった。
 理由:
 ・読書や映画に割くべき時間、あるいは睡眠時間が削られる
 ・深夜、寝てる最中でもバンバン電話がかかってくる

ある日、電話をしていたら、彼女がおもしろいものを聞かせてあげると言ってきた。

彼女の後輩が、何かの催しに自分を誘わなかったというか、要は"私を立てなかった"系の無礼をはたらいたらしい。
彼女は、その後輩が社交の場に参入するための一切のコネクションをつかさどり、かつ新車級の値段のパーティドレスもたびたび無償で貸している。
そのため、後輩の側から見れば、どれだけ先輩から理不尽なことを言われても、機嫌を損ねてはならないというコードに縛られているらしい。

というわけで、彼女はこれからその後輩に詰め寄ると言い、俺との通話をつなげたまま、別の電話機で後輩と通話しはじめた。
後輩側の音声は聞こえないが、彼女は完全にナニワのドチンピラの口調に切り替わり、「私の顔に泥」や「なめとんのか」といったワードを連発し始めた。

最終的に、
「いいよ、これで絶交で」
「ただし今後まともに生きていけると思うなよ」
「私の性格知ってんだろ」
「一生お前の人生を邪魔してやるよ」
と畳み掛けたところで、後輩は平にお詫びを入れ、どうかこれからも仲良くしてほしいと頼み込んできたらしい。

政治家であれ大物芸能人であれ、どれだけ優雅なハイソサエティに属していても、最終審級となる社交の原理は「暴力」であることを、彼女を通じて思い起こさせられた。

彼女は後輩との電話を終えてから、俺に「どうですか、少しは楽しんでもらえましたかね?」と尋ねてきた。
俺は勇気なく、「はい」と答えた。

しかし内心

つっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ

まんねええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ

と思っていた。

つまり彼女にはユーモアが欠けている。
だから誰か無作為に傷つける行動を取れば、そのパフォーマンス性がユーモアの代わりになると思っている。
いまでこそTwitterでさんざん揶揄されている「毒舌キャラ」という存在を、より実害レベルの毒に置き換えたバージョンでしかなかった。

若かりし当時、そう言う勇気がなかった。
(自分の住所をインターネットに晒していたので、刺されるかもしれなかったし)

彼女は俺に交際を申し出てきた。
私と付き合うなら、生活の面倒を見る。
仕事の都合上、ときどきパリやロンドンを往来するのにも同行させるという。

しかしインターネットを通じて知り合い、ただ電話をしているだけの間柄であり、直接会ったこともない。
精神を病んでいる人の不定形な感情を真に受けてはいけないと思い、断った。

彼女は食い下がる。
交際しないにしても、自分が東京に出るたび、一日デートをしてほしいという。
日給2万で。
(笑った)

どこかホテルを取るので、いつものような電話でなく、直接私のかたわらに添い、眠りを見届ける役目をやってほしいと頼まれた。
私は性欲に乏しいので、できればセックスをしたくないが、demioさんが勃起するというのなら耐えよう、挿入されよう、と譲歩を示してくれた。
断った。

この時期になると、結局色恋としてどうこうなるわけではないという結論が見えていた。
むかしからそうだが、自分にとって女性は性欲の対象でしかないので、人格的なレベルのコミュニケーションに終始する(せざるえない)ことが分かると、一気にその女性が疎ましくなる。
読書や映画に割くべき限りある時間を奪う搾取者に見えてくる。

そんな時期に突入したある日、彼女から「これから電話しよう」というメッセージが携帯電話に送られてきた。
彼女はつい先ほど親族と揉め、精神衛生が著しく損なわれたので、緊急で俺の声が聞きたいという。
そのとき俺は、出先でハンバーガーを食べていた。
かつ携帯電話の充電が残りわずかなため、一度家に帰る必要がある。
ハンバーガーを食べ終わる時間」と「帰宅に要する時間」を合計し、1時間半ほど後でないと電話には応じられないと返答した。

彼女は、帰宅に要する時間は認めてくれたが、ハンバーガーに納得できない様子だった。
つまり、食いかけのハンバーガーを捨てて、すぐに帰宅すればよい。
私だったら友だちが精神的危機を迎えているとき、食事など中断して一刻も早く電話に応じる。
正直どうかと思うわ――といった文面だった。

そのメッセージを一読したとき、自分がいまどういう状況なのか理解できた気がする。

つまり結局、俺は彼女の精神衛生を保つための「メンタルコンビニ」であり、24時間体制で彼女からの要求に応えなければいけない。
彼女との電話よりも食事を優先することは、「不遜」と見なされる。
といった具合に、彼女は自らと俺の間に、決して対等ではない権力の差があることを言葉の端々に含意させていた。

それは極めて不本意だった。

といった考えをメッセージにしたため、「よって」の三段論法で絶縁を申し出た。
すぐに電話がかかってきたので、それに応じず携帯電話の電源を落とした。
1時間半後、家に帰りつき次第、着信拒否の設定をPCサイト上で施した。
これでもう電話は弾き返せるので、携帯電話の電源を入れた。
彼女からの着信履歴が、保存できる上限件数、入っていた。

俺が携帯電話の電源を切っている間、電話がつながらないことを悟ったであろう彼女は、メッセージ機能に戻り、お詫びと反省の言葉をつづっていた。
ああいうことを言ったのは出来心であり、私の本心ではない。
このままdemioさんとの交流がついえて、あなたの声が二度と聞けないなんて到底受け入れられない。
(やっぱり声が評価される)

といった文面から胸が引き裂かれる思いはよく伝わったが、続いて「あれ、着拒した?」「うそでしょ」「あー」「これはつらいわ」というメッセージが積み重なっていく様は正直少し面白かった。

返事はしなかった。
「ganko_na_yogore」というIDは、自らの頑なな性格に由来する。
頭の中で今後の展開を何パターンも樹形図状に思い描き、どの道筋からも「この人との交流に光なし」という結論に至った場合、速やかに縁を切る。
(だから友だちが少ない)

こちらも曖昧な気分で判断したことではない。
相手に最大限の敬意をはらい、「熟慮」を経ている。
そのうえで決断したことなので、何を言われようが絶対に覆さない。
もし覆るとしたら、その程度の浅い考えで相手に絶縁を申し出たという、もっともタチの悪いパターンだったことになる。

その後、mixiで彼女から自殺未遂したという旨のメッセージが届いた。

むろん自分に責任があるとは考えなかった。
自殺未遂のトリガーが俺であっても、本質的には心の病のせいである。
すなわち恋愛や社交によってでなく、精神医療が対応すべき問題である。
精神医学を学び修めたわけでなければ、彼女の親族でもない俺が責任をまっとうできる問題ではない。
だから交流を再開するようなことはしない。

というのが順当な帰結であり、そのとおり実践したが、感情はそうすんなりと事態を咀嚼できず、当時の自分はそれなりに“あてられてしまった”。
彼女へのノーレスポンスを貫きながら、しばらく心の沈む時期が続いた。

暗い気持ちに襲われながら、彼女と接した期間のことを振り返り、できるだけ客観的な視点で総括しようと考えた。

こういう文章を書くこともそうだが、嫌な思い出を淡々とした言葉に起こし、(信長の野望スーパーロボット大戦のような)単なる諸力のぶつかり合いとして記述していくことで、精神衛生の回復を早めることができる。

彼女の姓は「有富(ありとみ)」だった。
彼女は底なしの財産を持っている。
すなわち、名前が当人の様相をそのまま表している。
また、彼女の一挙一動は、戯画的と言ってよいほどクレイジーで破天荒だった。

数ヶ月にわたってシリアスな局面に晒されてきたのに、自らが導き出した総括の結果は意外なものだった。

こち亀のキャラみたいな人だった」

イギリスへワーキングホリデーに行っていた友人の話

インターネットを介さずに知り合い、いまも仲良くしている友人は二人しかいない。
そのうちの一人は、つい最近までイギリスへワーキングホリデーに行っていた。


※ロゴは俺が勝手につけた。

彼はカメラマン志望であり、日本で5〜6年、カメラマンが集うスタジオでアシスタントを務めていた。
彼は表情筋が死んでいて、笑っても口以外のパーツが微動だにしないことや、初対面の人などを相手に緊張すると、単語をぶつ切りで口にするだけの会話力に落ち込むといった資質が災いし、機械をあつかうテクニック以上に人当たりの良さが求められるカメラマンという職業に長らくクラスチェンジできずにいた。
(さらに言うと、カメラそのものへの学究心もそれほど強くないらしい)

ワーキングホリデーとは、つまりアルバイトが許された長期的な観光滞在だが、彼は自らのカメラマンとしての資質を高め、現状を打破できるのではないかという期待を込めて、ファッションやアートを問わず写真文化の盛んなロンドンへ渡っていった。

彼はまったく英語ができないので(彼がむかし英語圏の人とチャットしたログを見せてもらったらIとmeを区別していなかった)、渡英前に3ヶ月間セブ島に滞在し、国籍がバラバラな人たちが集う格安の英語学校に通うことにした。

彼は当時mixiの日記で連日のように、同窓生やインドネシアの女性たちと砂浜に城を作って遊んだり、卵から孵る直前だった雛を食べる画像をアップして、セブ最高、と楽しげに書いていた。
いっぽう英語学校には途中でついていけなくなり、日本で洋楽のCDを聴くのと大差ない学習効率の日々を送りながら、英語力が身につかないまま渡英したという。

その話を彼からSkypeで聞いたとき、「セブ島に行った意味なかったな」と言うと、彼は「楽しかったので後悔はしていない」と答えてくれた。

彼はもてない。
彼が出会い系サイトやmixiをフル活用しながらようやく童貞を捨てられるまで10年近くかかっていたし、三十路にして初めてできた恋人にも1ヶ月ほどで別れを切り出され、その理由として「家のインテリアに統一感がない」と言われていた。

そんな彼だが、女性の容姿にうるさい。

イギリスに渡った彼とSkypeで話すと、
「イギリス人女性はブスばかりである。イギリス人女性はよく食べるのでデブばかりだ。イギリスの町並みでかわいいと感じる女性は、だいたいスペイン人である」
と語ってくれた。

そんな彼も、イギリス人たちから見ればろくに英語ができないチンチクリンでしかないので、イギリスの女性たちから性的対象として相手にされることはほとんどないし、途中、中国人女性に恋をして振られたらしい。

しかし、幸いなことにワーキングホリデーの終了が半年先に差し迫った時期、彼はイギリス人女性の恋人ができたと報告してきた。
素直に驚いたし、祝福の思いも伝えた。

彼女の写真を見せてもらった。

はたして「イギリス人女性はブサイクばかり、デブが多い」説が事実かどうかはさておき、彼がその状況を甘受したことはよく分かった。

後日、彼からあの写真は嘘だったと教えられた。
彼女ができたことは本当だが、どこかで拾ったブスの画像を見せてきたらしい。
嘘をついた理由を尋ねると、彼は「なんとなく」と答えた。
俺もよく同じ感覚で彼に嫌がらせをするので(例:インターネットに顔を晒す)、特に怒る場面とも考えず、あらためて本物の彼女の写真を見せてもらった。

  
 

幾分綺麗になっているが、“うんこ太そう”という基本認識に変わりはなかった。
(いや、むしろもっと太そうだと思った)

石原軍団の貫禄だけど、これで24歳だという。

さらに話を聞くと、彼女はベジタリアンらしい。
彼には言えなかったが、「ベジタリアンのデブ」って終わっているな、と思った。
草しか食わないで太るというのは、人間ではなく本来バッファローあたりに備わる資質だと思う。

彼女は時折「私って太ってると思う?」と尋ねてくるらしい。
彼は、日本で言うところの「ぽっちゃり」のような意味だと思い、体型を貶すより愛嬌を褒める気持ちで「chubbyだね」と答えたら、もはや英語圏でchubbyは(日本の「ぽっちゃり」同様)相手を勇気づける使い方はしないらしく、ふつうに「デブだね」と言った場合と同程度に激怒され、泣かれたという。

それでも大局的に見れば、交際の経過は順調で、付き合い始めて間もないことや彼が日本への帰国を近く控えている状況を踏まえてもなお、二人でよく結婚の話をするらしい。
クリスマスになると、彼は彼女の実家にお邪魔し、聖なる晩餐を共にしたそうだ。

この春、彼は2年間の滞在期間を満了し、日本に帰ってきた。

彼は滞英中、ビジネスレベルにほど遠い英語力しか持たなかったため、カメラマンとして履歴書に書けるような実績はほとんど作れなかった。
代わりにイギリスで果たした達成として、「ベッカムにサインをもらった」ことを写真つきで報告してきたときは、いち友人として涙が止まらなかった。

 

つまり彼にとってのイギリスでの2年間は、カメラマンとしてほぼ“ブランク”であり、リセットのかかったキャリアを日本で一から作り直さなければいけない。

俺が「イギリスに行った意味なかったな」と言うと、彼は「彼女ができたので後悔はしていない」と答えてくれた。

彼は「この世に無駄な経験なんて存在しないので、何があっても後悔はしない」というJ-POPによくある被搾取者の論理に毒されているので、必ずこう答えてくれる。
しかし、日本でついぞ作れなかった「結婚を考える級の彼女」ができたという実績は、確かに2年間イギリスでフリーターをやっていただけという負い目を帳消しするに値した。

彼は今後、日本で一定のキャリアを形成できたら、イギリスに再び渡り、現地のネタを撮っては日本に送るような在英カメラマンへとキャリアチェンジする。そして彼女と結婚し、ビザを取得してイギリスに永住するという見通しを聞かせてくれた。

といっても、彼女はそんなに長く待てないと言っているため、彼は1〜2年以内にはイギリスに戻らなければいけないらしい。
数少ない友人があまり年月を置かず再び日本から離れることを寂しく思ったが、彼の幸せがそこにあるならと考え、一刻も早くカメラマンとして独り立ちしないとな、と応援の言葉を寄せた。

つい先週、彼からLINEで「ふられた」という報告がきた。
笑った。

ここに来て彼女が「遠距離恋愛に耐えられないわ」と言い出したらしい。

俺が彼に、いずれ遠距離恋愛の形になることぐらい出会った時点で二人とも承知ではなかったのかと問うと、彼女もそれは分かっていたが、やはり長考を経て耐えられなくなったらしい。

彼は併せて「付き合い出した当初から、ぼくが彼女に結婚結婚とうるさく迫ったことがとてもプレッシャーだったらしい」と話してくれた。

これまで聞いた話だと、彼女は日本に帰国した彼に「待てないわ」とはっぱをかけるぐらい結婚に前向きだったと理解していたので、彼の求婚を重荷に受け止めるという状況がよく分からなかった。

あらためて説明を求めると、どうやら実際のところ彼女は彼に対し、生涯の伴侶としてそれほど強い確信を持っていたわけでないらしい。
しかし表情筋の死んだアジア人が連呼する「結婚」の話に気圧され、(女性特有の他者と批判的に向き合おうとしない生ぬるい気質が災いし)明確な否定もしないまま、フィクショナルな姿勢半ばで結婚話に乗っていたようだった。

つまり「このジャップからちやほやされている現状はつまらなくないし、遠距離恋愛や言語の壁といった現実的な側面に目を向けるより、なあなあで付き合ってみようかしら。暇だし」程度の対応をされていたようだ。
ベジタリアンのデブに。

彼は「童貞の期間が長かった男ほど女性と付き合うとすぐ結婚話をすると、トゥギャッター『童貞特徴まとめ』に書いてあった」と不甲斐なさそうに語った。
陥った事態がクソだが、それに反省を促すメディアまでクソだった。

彼は33歳にして、カメラマンのキャリアだけでなく、“恋愛”という人生設計面もすべて振り出しに戻された。

次会うとき、あらためて「イギリスに行った意味なかったな」と言おうと思う。

リドリー・スコット『悪の法則』感想

サド侯爵のソドミーな文学について語られるとき、ラカンドゥルーズ、あるいはアドルノ&ホルクハイマーにおよぶまで、いつも厳格な道徳法則を説いたカントが援用される。

サド文学では、通常なら「悪」と判断される変態行為に関して、主人公にあたる人物が「なぜこの行為を自分が行うのか」を、真理に即すればむしろ社会全体よりも私個人のほうにこそ妥当性があるという論法で延々と語り続ける。

これがカントで言うところの規定的判断力(すでにまかり通っている通念的法則にもとづく判断)でなく、反省的判断力(個別事態をきっかけに、その事態および、それ同様の事態に適用できる普遍的法則を新たに導き出す判断)を実践していることに相当する。

よって、サドとカントは密接に関連すると考えられてきた。

サド文学の中で説かれる「この変態行為には実は妥当性がある」という主張は、多くの場合、以下のような論理を根幹に据えている。

(1)私は自然に付与された感性に従っているまでである
(2)自然とは神が規定したものである
(3)よって私は(私こそが)神に従順であり、ひいては真理に即している

ここで注目したいのは、サドが物事の妥当性を「自然=神」に準拠させたということは、「真善美」のうち、変態行為を善悪の問題としてでなく、真理の問題として取り扱っている点である。
さらに言うと、サドは悪徳文学の中で、実は善悪を説いていない。
むしろ善悪を「積極的に無視する」ことを遂行している。

カントは理論的整理の一つとして、伝統的な問題系統「真善美」の三項を、それぞれ独立して考えることを必須とした。

たとえば真理の例を挙げると、水素2つと酸素1つを化合すると水になる。
このことに善も悪も、快も不快もない。端的な“真理”である。

同様に原子爆弾の原理を得ることは、その発見自体に関しては真理に属する。
のちのち問われる善悪の是非は、真理とは別の次元で、人々が付与する問題に過ぎない。

むろん原子爆弾の原理が「真理」に与するからといって、原子爆弾を実用することが「善」であると判断することも、問題の混同ないし誤った接続である。

このように科学的に正しいことが悪を併存させたり、あるいは誤ったことが快である場合もあるが、真善美の三項は一元的に溶融されない、各レベルが独立して考えられるべき問題である。

たとえば考古学者は、土の中から発見したいまだ見たことのない生物の骨に対し、科学的実証を経る前から、旧約聖書にのっとった自らの宗教観(善悪の問題)を適用させてはならない。
こういった区別が守られることが、近代という枠組みを可能にしている。

サドが真理と快のレベルのみに準拠し、徹底して善悪という枠を無視しながら小説内の背徳的行為を説明することも、真善美の厳正な区別という近代的なルールにのっとっている。
その結果論として、作中で無視された人類の善悪が目も当てられないほど蹂躙されていく。
読者は、「語られなかったもの」こそ注視せざるえなくなる。

実は善悪を直接取り扱うよりも、このように真理や美など別のレベルに滞留し、善悪を徹底して「取り扱わない」ことでこそ、カタストロフィなりソドミーな描写なり、真に絶望的な様相を描くことができる。

『悪の法則』のオリジナル脚本を荷った小説家、コーマック・マッカーシーもこの認識を持っているだろう。

彼の作品は、何が善で何が悪かを定義しながら、見る者に安定した視座を与える勧善懲悪的な構造を一切採用しない。
悪が駆動し始めれば、あとは自動律で人々が物理的に損壊されていく流れをただ淡々とえがくだけである。

『悪の法則』では、金が必要になった主人公の弁護士が、数百キロの違法ドラッグの輸送を巡って、裏社会の人々に加担する。
すると思わぬ外敵の介入により、A地点からB地点に運ぶ途中だった違法ドラッグが略奪される。

結果、B地点に空白が生じる。
もはや金銭の形で取り戻すことは叶わない。
すると、その空白は復讐なり見せしめなり、事業で失敗をおかした者たちに暴力を働き、残された面々にカタルシスを憶えさせることでしか補填されない。

以上のコーディングをもって、後はただ自動的に、玉突きのアルゴリズム数を増やしたに過ぎない構造で、人々の凄惨な生き死にが展開されていく。

『悪の法則』では、一部を除いてアクションシーンがほとんど展開されず、プラトンさながらの対話劇でほとんどの時間が埋められていることも、「玉突きのアルゴリズム」を曇りなく解説する手続きだった。
(大事なのは、その手続きだけなのだ)

ここで善悪は問われていない。
ただ単に、真空が生じたらそれを埋めるため何らかの気体が流れ込むなど、端的な運動や化学反応ないし、「真理」のレベルが解説されているに過ぎない。

冒頭、おたがいハイソサエティに属するキャメロン・ディアスハビエル・バルデムカップルが、ペットの豹に兎狩りをさせているさまを楽しみながら会話する。

ハビエル・バルデムが自らの不安な感情(不合理と知りながらどうしても抱いてしまう感情)を持ち寄るのに対し、キャメロン・ディアスが冷然と突き放し続けていると、たまらず彼は「冷た過ぎないか?」と問う。
キャメロン・ディアスは彼に一瞥もくれず「真理に温度はない」と一蹴する。

これは『悪の法則』が何をしようとしているのか――すなわち情緒的な「温度」を伴う善悪の問題を排し、真理のみを禁制的に取り扱う物語なのであるというマニフェストを発している。

その後の2時間にわたって、これほど終始戦慄させられた「暴力」映画は久しく観ていない。

以上はコーマック・マッカーシーの偉業と言える。

次にリドリー・スコットを褒めたい。

コーマック・マッカーシーの原作を映画化し、成功を収めたものと言えば、言うまでもなくコーエン兄弟ノーカントリー』だ。
これはこれで面白い。

ノーカントリー』では、画面に赤みと黄色みの強い陰影を当て、南部の陰鬱として渇いた空気をえがいている。

しかし同じ南部を舞台としている『悪の法則』は、コーエン兄弟が行ったような陰影に対し、むしろ禁欲的な画面を作り出している。
つまりリドリー・スコットのキャリアの出発点――高級車のCMのように、曇りのない極めて鮮明な映像に仕立て上げられている。
(何か映画内の事物が影に落ち、ディテールが分からなくなるという事態がほとんどない)

登場人物の多くが上流階級の人々であり、コスモポリタンな近代建築に住んでいることも関係し、いかなる様式(ジャンル)も受け入れず、事物の鮮明さと、均整の取れた構図を確保することだけに執心したプレーンな映像になっている。

それらは映像内の事物一つひとつが持つ情報量を、曇らせることなく観客に届ける。
鼓舞する音楽やアクションシーンが大変限られるのに、ほとんど退屈に感じることがなかったのは、一見静かな場面でも細かなディテール、情報量に満ち溢れているおかげだろう。

これは、少ない字数の台詞に膨大な情報量を詰め込むコーマック・マッカーシーの脚本と、形態的に反復した映像だと言える。

ようやくここで引き合いに出せば、コーエン兄弟は『ノーカントリー』の中で、悪を悪らしい色合いで「演出」していた。
リドリー・スコットは、そんな加工作業を愚鈍と笑い飛ばすように無性質な映像を作り上げている。

思うにそもそも「映像的」とは、こういうことだろう。

色味に偏りや精彩をつけ、巷のブスどもに「スタイリッシュ」だとか「雰囲気が好き」と言われる(しかし作品の構造自体は極めてシンプルである)ようなものが「映像的」なのではない。

たとえばロベール・ブレッソンジャンヌ・ダルク裁判』で、その監督が金科玉条と定めているとおり、ジャンヌ・ダルクをはじめとした俳優たちは機械的な棒読みのみで、表情の起伏もなく淡々と物語を演じていく。
観るものに感情移入を認めない。

しかしいざジャンヌ・ダルクが火刑に処されるとき、観客たちは何の感情的準備も施されなかった中、唐突に「この人は殺される(殺されるに至るまでのしかるべき手続きが、気づかぬ間にこれまで進められてきた)」という事実に直面させられる。

すると火刑で映される火と、処刑人たちが打ち鳴らすドラムロールは、引き続き情緒に欠いた簡素なものにもかかわらず、それらが一挙に(画中でなく)観客の精神の中で精彩を帯び始める。

つまり、その物語が真に「無残」な構造を有しており、かつその無残さを理解するための「情報」を滞りなく与えれば、音や表情で観客の感情を喚起しなくても、ことの深刻さは論理的に人の頭の中で構成され、強烈な映像性が実現される。

これはバスター・キートンドン・シーゲルの映画でも確認できるし、あるいは、アキ・カウリスマキは『ル・アーブルの靴磨き』という悲劇とは逆の物語で同じことを再現してみせた。

いっぽう表層的なビジュアリストとして通説まかり通っているリドリー・スコットは、その印象を徹底的かつ児戯的に『プロメテウス』で体現してみせた。
彼は表層的であることをアイロニカルに否定したりせず、一手に引き受けた。

これは観た当時、ヨボヨボの亀仙人が突然筋肉を肥大させ、かめはめ波で月を破壊した場面を思い起こさせられた。
(老人とは本来、身体が衰え、蓄積した知識が人物の核を形成するはずなのに、老いてなお、物質的な強さを体現してみせる脅威)

しかし、リドリー・スコットは次作『悪の法則』において、まるで逆の芸当、すなわちブレッソン的な映像性を実践してみせた。

もうじき死期を控えている老人が、この不可解と言ってもよいほど軽やかなフットワークを見せている事実には、ただただ驚嘆するほかない。
もはや意味が分からない。

本当にすごい映画を観た。

映画を観るようになったいきさつ

俺は、物心がついたときから映画を熱心に観てきたような人間ではない。

7〜8年前だったか、一回り年上の女性に恋をした。

その女性は文化に明るかった。

漫画、音楽、小説、映画、演劇あらゆるジャンルにわたって通暁している“サブカルリベラルアーツ”だった。

俺は、その女性の文化的な話に全然ついていけなかった。

その女性は友だちがとても少なく、抑圧的かつ孤独な人生を送ってきたようで、文化に「幸福」の可能性を一点突破的に見い出している倒錯的な人だったので、俺が彼女の文化的な話についていけないことは、そもそも恋路に橋が架かっていないに等しかった。

焦った。

漫画の話は、ある程度付いていける。
しかし、ほかのジャンルが全然フォローできていない。
全然ダメだった。
文化的に“足りなかった”。

彼女が詳しいジャンルのうち、小説や音楽などに比べて映画は敷居が低く感じられたし、既存の興味関心(視覚文化全般)とも噛み合っていた。

よって、
目的⇒「好きなあの女性と交際するため」
目標⇒「映画に詳しくなろう」
という意識を持った。

焦った。

思春期を迎えて人格形成に支障をきたしながら多くの時間を割いて諸文化に触れはじめて10年経つ中で、また新たな文化に「詳しくなる」ために「最低もう10年必要」ということぐらいは手応えとして容易に理解できた。

好きな女性に10年待ってもらえるわけはないので、通常のペースでは間に合わない。

そう自覚した瞬間、食べかけのパニーニと馬糞を壁に投げつけて、レンタル屋に走って20本ほど映画を借りてきた。

当時は柏で家賃3.5万の安アパートに住み、健康保険と年金の支払いを拒絶しながら生活費を切り詰め、コンビニで週4の夜勤をするだけで極力社会と接点を持たない生活を送っていた。

よって映画を観る本数は、

平日:2本×4日=8本
休日:4本×3日=12本

足して

週間:20本

というのが「観ようと思えば観れるはず」な本数だった。

この時期ほど時間の使い方に細かく配慮していたときはない。

平日は労働に(移動・休憩込みで)10時間拘束されるとして、睡眠や家事も差し引けば、1日に自由に用いることができる時間はおおよそ5時間だ。

映画2本に4時間割くとすれば、残った1時間で別の用事をすべてやりくりすることになる。
イコール複数の用事に対し、分単位で厳密に定めた時間を分配しなければいけない。

「コンビニに行って、木曜発売分の雑誌を立ち読みして、カフェオレを買って帰り、それをレンジでチンする」のに最速で15分ぐらい必要だ。

こうなってくると「いまここで麦茶を煮出しすると映画を一本観れなくなる」ぐらいの意識が芽生えてくるし、「駅前に出てブラつく」といった漠然かつ1時間を軽やかに消費する過ごし方は、社会主義国ばりの道徳観で明確に「悪」と断じられた。

それでも凡ミス的なタイムロスは頻繁に生じるので、結果的には「週15本は下回ることがない」程度の状況が続いた。

当時たまたま別ジャンルを通じて四方田犬彦の著書にハマりだしたところだったので、それの映画論を道先案内に採用し、「映画史を理解する」というクソみたいな教養主義の意識を持ってレンタル屋に足を運んだ。

たとえばベルイマン『沈黙』を見て、作品の意味がビタイチ分からなくて「つらい…」「つらい…」「つらい…」「つらい…」「つらい…」「つらい…」「つらい…」「つらい…」「つらい…」「つらい…」「つらい…」「つらい…」と100分間ずっと感じていたこともあった。

自分にとって難解な映画を観ながら「こんな一般には意味が分からないとされる文法で映画が作られた社会的・芸術的・政治的意味とは」みたいな思考が始まるときは、自らに黄色信号を送った。

そういう思考は足場もなく空転し、自分の精神をどこにも移動させないまま精神衛生を濁らせるばかりだった。
できる限り、目のハイライトを失いながらであっても、無心で映画を観るよう努めた。

目的は女性との交際であり、そのために必要なことは映画を「楽しむ」ことではなく「知る」ことである。
作品を観ながらファニーな気持ちになれないことは、その行為を中断する理由に値しない。

ことの是非はどうであれ、観た。

=============
以上の生活を始めて2ヶ月ほど経ち、意中の女性からフラれた。

あまり多くは語りたくない。

フラれ方から察するに、「映画に詳しくてもこの恋愛に1ミクロたりとも影響はなかった」と確信することができた。

恋をしている最中、人の理知性は著しく低下する。

もう一度載せよう。

よって、
目的「好きなあの女性と付き合うため」
目標「映画に詳しくなろう」
という意識を持った。

頭がおかしい。

知能の低い人間は、他人の視点を推し量れない。
ないし他人の痛みが分からない。

そういった人間はクソである。

よって恋は、倫理にのっとればクソである。

話は逸れたが、映画は3つの考えにより、引き続きそのままのペースで観ることにした。

(1)現実逃避
(2)テレビの代わり
(3)人は成熟後に新しく「好きなもの」を作れるかどうか

1〜2が目的の8割を占めていたが、3について語る。

ふつう「好きなもの」の多くは、自我が確立する前、もしくはその前後に“所与の前提”として隣を付き添ってくれたような文化だと思う。
(これは非人間的な形をとった「友だち」である)

俺にとって漫画や美術が、それにあたる。
たとえば思春期の入り口で楳図かずお杉浦茂に出会わなければ、パウル・クレーカラヴァッジオの絵を模写しようと思い立たなければ、冗談でも何でもなく、きっと俺は自殺していた。

これらの文化・作家たちが取り組んだ問題や、見る側に投げかけてくる謎は、我が身のように血の通った問題として考えることができる。

いっぽう芸術や哲学、さらに政治・経済といったことなど、あらゆる諸問題に対してクリティカルな問題意識を持ったいわゆる「知識人」というものが存在する。

「知識人」に対し、むかしからよく分からずにいることとして、彼らは「我が身のように血の通った問題」を複数所有しているのか、しているならどのようなプロセスで複数も所有できたのだろう。

幼少時にすべての問題に関心を持つことは、おそらく難しい。

もはや原風景・原体験から遠ざかった成人後に「我が身のように血の通った問題」を意図的に新しく設けることはできるか――ということは極めて下衆ながら、21〜22歳あたりに直面する高次的な成熟を目前に控え、興味のあることだった。

一種の自傷行為も兼ねていた。

意図して「映画を好きになろう」と努めることの浅ましさを100%理解しながら、その浅ましさに没入することにした。

金がないことと、あくまでも映画というジャンル総体の外延をなぞることを優先したため、劇場に新作を観に行くことは滅多にせず、DVDやVHSのレンタルでほとんどの鑑賞をまかなった。

「現実逃避」が何よりの動力源となったので、その後の1年は並行して映画関連の本を読むことにも時間を割きながら、合計500本ぐらいの映画を観た。

俺にとっての映画の原体験は、幼少期でも思春期でもなく、誰とも会わずコンビニに行く時間も惜しみながら、真っ暗な部屋でベッドに体育座りし、テレビに映る光をボーッと眺め続けるこの21〜22歳のときだった。

=============

平均的なレンタルビデオ屋はおおよそ4万本のソフトを備えているらしい。

俺が観た500本なんて、レンタルビデオ屋のバイトがバックれるときに万引きしていっても管理責任の追及をおそれる店長が「荷崩れで紛失」の一筆で揉み消せそうな本数だが、それでも極めて教科書的な映画史の大枠を知るには事足りた。

得られた結論は、「別に映画がなくても生きていける」ということだった。

誰かはよく憶えてないが、キネマ旬報の元編集長だったか

「映画が好きであるとは、面白い映画があるから観たいということではなく、それが映画であれば、作品の質がどうであろうと観たいと思い、結果としてつまらなかったとしても『映画を観た』という最低限の行為性に愉悦を覚える人種のことであり、名作だけを追うような人間は外部からの搾取者であり、又吉イエス地獄の火の中に投げ込むものである

みたいなことを言っていた気がする。

1年を経ても、俺は全然、面白い作品“ばかり”観たいと感じられた。

かけがえのない好きな作品はたくさんあるけど、つまらない作品を観れば「最悪だ」「後悔した」「時間の無駄だった」と素朴に思うし、制作者への殺意も容易に抱く。

当然の帰結として、

1.成人後に意図して「映画が好きな人」になることはできない。
2.諸分野に通暁した「知識人」は、努力と無理をふんだんに駆使してそうなっているだけである。

という見解を得るに至った。

これは挫折のようで、しかしそれ以降、映画を観ることに一種の安心感を憶えられる心地よい諦観でもあった。

鑑賞者である自らを「映画史」に内属させるような理念は換骨奪胎された。

観るものをかなり動物的に選ぶようになったし、もともと美術や思想哲学が素朴に好きなので、そっちの問題を考えるにあたってのカンフル剤ぐらいに映画を受容する。
シネフィルが見たらブチぎれるような文体・理屈での感想も平気で書く。

観るペースも落ち着いた。

週4〜5本借りて、観れずに返却するものがあったり、たまに借りない週もあったり、せいぜい「月20本に満たないぐらい」になった。

(このブログに記録している月ごとの鑑賞本数はだいたい20本を超えていると思うけど、これはTwitterで俺に構ってくれる人たちに、たまたま映画の話が通じる人が多いせいで、恥ずかしながら「人に触発されて」的な要因でここ1年ほど映画に割く時間が微増しているため)

観る本数は人より多いと思われるだろうけど、そもそもの目的として「テレビの代わり」ということがある。
ゴールデン番組を1日2本観る人よりも、俺が映画に割いている時間のほうがずっと少ないはずだ。

映画はとても広大なジャンルで、それに対して俺という人間はとても小さい。

その気持ちを忘れないよういつも自分に言い聞かせているし、映画を腐す思いは一切ない。

しかし、いまでも「映画が好き」だとは言えない。