イギリスへワーキングホリデーに行っていた友人の話

インターネットを介さずに知り合い、いまも仲良くしている友人は二人しかいない。
そのうちの一人は、つい最近までイギリスへワーキングホリデーに行っていた。


※ロゴは俺が勝手につけた。

彼はカメラマン志望であり、日本で5〜6年、カメラマンが集うスタジオでアシスタントを務めていた。
彼は表情筋が死んでいて、笑っても口以外のパーツが微動だにしないことや、初対面の人などを相手に緊張すると、単語をぶつ切りで口にするだけの会話力に落ち込むといった資質が災いし、機械をあつかうテクニック以上に人当たりの良さが求められるカメラマンという職業に長らくクラスチェンジできずにいた。
(さらに言うと、カメラそのものへの学究心もそれほど強くないらしい)

ワーキングホリデーとは、つまりアルバイトが許された長期的な観光滞在だが、彼は自らのカメラマンとしての資質を高め、現状を打破できるのではないかという期待を込めて、ファッションやアートを問わず写真文化の盛んなロンドンへ渡っていった。

彼はまったく英語ができないので(彼がむかし英語圏の人とチャットしたログを見せてもらったらIとmeを区別していなかった)、渡英前に3ヶ月間セブ島に滞在し、国籍がバラバラな人たちが集う格安の英語学校に通うことにした。

彼は当時mixiの日記で連日のように、同窓生やインドネシアの女性たちと砂浜に城を作って遊んだり、卵から孵る直前だった雛を食べる画像をアップして、セブ最高、と楽しげに書いていた。
いっぽう英語学校には途中でついていけなくなり、日本で洋楽のCDを聴くのと大差ない学習効率の日々を送りながら、英語力が身につかないまま渡英したという。

その話を彼からSkypeで聞いたとき、「セブ島に行った意味なかったな」と言うと、彼は「楽しかったので後悔はしていない」と答えてくれた。

彼はもてない。
彼が出会い系サイトやmixiをフル活用しながらようやく童貞を捨てられるまで10年近くかかっていたし、三十路にして初めてできた恋人にも1ヶ月ほどで別れを切り出され、その理由として「家のインテリアに統一感がない」と言われていた。

そんな彼だが、女性の容姿にうるさい。

イギリスに渡った彼とSkypeで話すと、
「イギリス人女性はブスばかりである。イギリス人女性はよく食べるのでデブばかりだ。イギリスの町並みでかわいいと感じる女性は、だいたいスペイン人である」
と語ってくれた。

そんな彼も、イギリス人たちから見ればろくに英語ができないチンチクリンでしかないので、イギリスの女性たちから性的対象として相手にされることはほとんどないし、途中、中国人女性に恋をして振られたらしい。

しかし、幸いなことにワーキングホリデーの終了が半年先に差し迫った時期、彼はイギリス人女性の恋人ができたと報告してきた。
素直に驚いたし、祝福の思いも伝えた。

彼女の写真を見せてもらった。

はたして「イギリス人女性はブサイクばかり、デブが多い」説が事実かどうかはさておき、彼がその状況を甘受したことはよく分かった。

後日、彼からあの写真は嘘だったと教えられた。
彼女ができたことは本当だが、どこかで拾ったブスの画像を見せてきたらしい。
嘘をついた理由を尋ねると、彼は「なんとなく」と答えた。
俺もよく同じ感覚で彼に嫌がらせをするので(例:インターネットに顔を晒す)、特に怒る場面とも考えず、あらためて本物の彼女の写真を見せてもらった。

  
 

幾分綺麗になっているが、“うんこ太そう”という基本認識に変わりはなかった。
(いや、むしろもっと太そうだと思った)

石原軍団の貫禄だけど、これで24歳だという。

さらに話を聞くと、彼女はベジタリアンらしい。
彼には言えなかったが、「ベジタリアンのデブ」って終わっているな、と思った。
草しか食わないで太るというのは、人間ではなく本来バッファローあたりに備わる資質だと思う。

彼女は時折「私って太ってると思う?」と尋ねてくるらしい。
彼は、日本で言うところの「ぽっちゃり」のような意味だと思い、体型を貶すより愛嬌を褒める気持ちで「chubbyだね」と答えたら、もはや英語圏でchubbyは(日本の「ぽっちゃり」同様)相手を勇気づける使い方はしないらしく、ふつうに「デブだね」と言った場合と同程度に激怒され、泣かれたという。

それでも大局的に見れば、交際の経過は順調で、付き合い始めて間もないことや彼が日本への帰国を近く控えている状況を踏まえてもなお、二人でよく結婚の話をするらしい。
クリスマスになると、彼は彼女の実家にお邪魔し、聖なる晩餐を共にしたそうだ。

この春、彼は2年間の滞在期間を満了し、日本に帰ってきた。

彼は滞英中、ビジネスレベルにほど遠い英語力しか持たなかったため、カメラマンとして履歴書に書けるような実績はほとんど作れなかった。
代わりにイギリスで果たした達成として、「ベッカムにサインをもらった」ことを写真つきで報告してきたときは、いち友人として涙が止まらなかった。

 

つまり彼にとってのイギリスでの2年間は、カメラマンとしてほぼ“ブランク”であり、リセットのかかったキャリアを日本で一から作り直さなければいけない。

俺が「イギリスに行った意味なかったな」と言うと、彼は「彼女ができたので後悔はしていない」と答えてくれた。

彼は「この世に無駄な経験なんて存在しないので、何があっても後悔はしない」というJ-POPによくある被搾取者の論理に毒されているので、必ずこう答えてくれる。
しかし、日本でついぞ作れなかった「結婚を考える級の彼女」ができたという実績は、確かに2年間イギリスでフリーターをやっていただけという負い目を帳消しするに値した。

彼は今後、日本で一定のキャリアを形成できたら、イギリスに再び渡り、現地のネタを撮っては日本に送るような在英カメラマンへとキャリアチェンジする。そして彼女と結婚し、ビザを取得してイギリスに永住するという見通しを聞かせてくれた。

といっても、彼女はそんなに長く待てないと言っているため、彼は1〜2年以内にはイギリスに戻らなければいけないらしい。
数少ない友人があまり年月を置かず再び日本から離れることを寂しく思ったが、彼の幸せがそこにあるならと考え、一刻も早くカメラマンとして独り立ちしないとな、と応援の言葉を寄せた。

つい先週、彼からLINEで「ふられた」という報告がきた。
笑った。

ここに来て彼女が「遠距離恋愛に耐えられないわ」と言い出したらしい。

俺が彼に、いずれ遠距離恋愛の形になることぐらい出会った時点で二人とも承知ではなかったのかと問うと、彼女もそれは分かっていたが、やはり長考を経て耐えられなくなったらしい。

彼は併せて「付き合い出した当初から、ぼくが彼女に結婚結婚とうるさく迫ったことがとてもプレッシャーだったらしい」と話してくれた。

これまで聞いた話だと、彼女は日本に帰国した彼に「待てないわ」とはっぱをかけるぐらい結婚に前向きだったと理解していたので、彼の求婚を重荷に受け止めるという状況がよく分からなかった。

あらためて説明を求めると、どうやら実際のところ彼女は彼に対し、生涯の伴侶としてそれほど強い確信を持っていたわけでないらしい。
しかし表情筋の死んだアジア人が連呼する「結婚」の話に気圧され、(女性特有の他者と批判的に向き合おうとしない生ぬるい気質が災いし)明確な否定もしないまま、フィクショナルな姿勢半ばで結婚話に乗っていたようだった。

つまり「このジャップからちやほやされている現状はつまらなくないし、遠距離恋愛や言語の壁といった現実的な側面に目を向けるより、なあなあで付き合ってみようかしら。暇だし」程度の対応をされていたようだ。
ベジタリアンのデブに。

彼は「童貞の期間が長かった男ほど女性と付き合うとすぐ結婚話をすると、トゥギャッター『童貞特徴まとめ』に書いてあった」と不甲斐なさそうに語った。
陥った事態がクソだが、それに反省を促すメディアまでクソだった。

彼は33歳にして、カメラマンのキャリアだけでなく、“恋愛”という人生設計面もすべて振り出しに戻された。

次会うとき、あらためて「イギリスに行った意味なかったな」と言おうと思う。